水面に映る中秋の名月。京都嵯峨・大覚寺で「観月の夕べ」という贅沢

 

大覚寺

真言宗大覚寺派の本山で876年嵯峨天皇の離宮嵯峨院を皇女が寺院に改めたのが始まりです。それ以降、歴代の天皇や皇族が住持された門跡寺院となり、嵯峨御所と呼ばれてきました。書院造の正寝殿は後宇多天皇が院政を執った部屋で、京狩野(きょうがのう)の祖・狩野山楽筆の障壁画が多数所蔵されています。

宸殿は徳川2代将軍秀忠とお江の間に生まれた東福門院和子(後水尾天皇の皇后)が女御御殿の宸殿として使用していた建物です。こちらにも狩野山楽筆の牡丹図・紅白梅図などが所蔵されています。また、嵯峨天皇をはじめ後光厳・後花園・後奈良・正親町・光格の各天皇の写経が祀られていています。このことから般若心経写経の根本道場としても知られています。

境内の東側に広がる大沢池は、平安時代に唐・中国の洞庭湖を模して造られた日本最古で最大の人造池です。月見のためだけに嵯峨天皇が造営させたものと伝わります。池の周りには桜や楓が約650本も自生し、平安時代から1,200年変わらない風光明媚な風景を楽しむことができます。

池の真ん中に華道のいけばな嵯峨御流の礎となった菊ヶ島があり、大覚寺はいけばな嵯峨御流の総司所としても知られています。池の北側にあった名古曾滝(なこそのたき)は有名で平安時代から歌の名所としてもてはやされました。

「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」  大納言公任

藤原公任(ふじわらのきんとう)の歌で百人一首に選ばれている一句です。天皇の別業の地(別荘)として始まり、門跡寺院として受け継がれてきた大覚寺月見華道和歌に詠まれた場所として観るべきものに事欠かない名所です。

いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

image by: Shutterstock

 

おもしろい京都案内
毎年5,000万人以上の観光客が訪れる京都の魅力を紹介。特にガイドブックには載っていない京都の意外な素顔、魅力を発信しています。京都検定合格を目指している方、京都ファン必見! 京都人も知らない京都の魅力を沢山お伝えしていきます。
<<登録はこちら>>

 

print
いま読まれてます

  • 水面に映る中秋の名月。京都嵯峨・大覚寺で「観月の夕べ」という贅沢
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け