戦国武将の経営術。信長は「マネジメント力」でも日本を変えた

 

ところで、そんな武将の中で最も優秀な者をあげなさいと言われれば、それは躊躇することなくダントツで織田信長をあげたいと思います。信長がダントツなのは合戦に強かったというレベルのことでなく、その見識、行動力という総合レベルで評価しての類稀なマネジメント能力によります。

その合戦の強さについても、個々の兵の強さではなく「ランチェスターの法則」の活用そのもので、合理主義者の信長が行うにふさわしいあり方です。「戦闘力=武器効率×兵力数」で示されるもので「桶狭間の合戦」以外はいつも敵より多くの軍勢でもって敵より長い三間半の長槍や鉄砲などのより強力な武器でもって戦いに挑んでおり必勝の体制を整えています。

ここで、当時の生産手段の中核をなす農民の暮らしについて考えてみます。戦国時代でもとうぜん今と同じような人の営みがあったのですが、穢土(えど)の中にあって望み少なく生きるよりしかたのない境涯でした。時代は腕力と狡猾さがすべてで、恋をしてやがて生まれた我が子であっても地侍の経済的都合で物としての扱いで他所の物品と交換されるという壮絶なことが日常の出来事として行われていました。

さらに述べるとこの時代、合戦を行うのは一般的に米の刈り入れが終わった後の農閑期であったのですが、その合戦に参加する地侍の楽しみは何かというとその仕組みがまた愚劣でそれは「焼き討ち」です。「焼き討ち」とは合戦相手であれは、暴行、略奪は思いのままで女は犯し売りはらい、男は殺すか人足として奴隷にするかでした。

もちろん農民は自衛のために「という自衛組織をつくり、また年貢の一部「懇志を石山本願寺に収めて教団の保護を求めるということもありましたが、こんな悪逆な現世を厭い来世に幸せを託していました。また、その幸せを託した本願寺の大坊主が統治を始めると、元の国主の悪逆よりさらに悪逆であった例もあり救われようがないのが時代相です。

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