大戸屋「お家騒動」の調査報告書が、まるで昼ドラのような骨肉の争い

 

久実氏は1983年に店舗展開を目的として、株式会社大戸屋を設立しました。女性客が気軽に入れる雰囲気や、健康志向のメニューといった大戸屋のコンセプトが多くの消費者に受け入れられ、事業は拡大していきました。国内での出店はもちろん、香港やアメリカなどの海外にも展開していきました。2016年6月末の店舗数は、国内に344店舗、海外に93店舗、合計で437店舗にもなります。

2015年7月に久実氏は急逝しました。急逝以前から余命がいくばくもないことを医師から告げられていて後継体制を整えることが急務となっていました。そういった状況の中、2015年3月頃に「功労金問題と呼ばれる騒動が発生します。創業家に対し功労金を拠出する話が持ち上がりました。しかし、大戸屋のメインバンクである旧三菱信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)や一部の取締役が難色を示します。久実氏は激怒し、反対した取締役の役を外すといった争いが発生しました。

久実氏の後継体制についてもまとまりがありませんでした。久実氏は息子の智仁氏を将来の後継者にすることを望んでいました。しかし、その希望は周知の事実ではあるものの、その時期がいつなのかは必ずしも明確にはなっていなかったことが問題を複雑にしています。現社長の窪田氏が10年間社長を務めた後に智仁氏に社長を譲ることを久実氏が望んだと言われていますが、文章があるわけでもなく明確な意思表示とはなっていません。また、26歳(当時)と若くさしたる実績がない智仁氏が早期に社長に就くことに異論を挟む役員もいました。

久実氏の葬儀後、智仁氏の処遇の話が持ち上がりました。海外事業で研鑽を積ませるというものです。具体的には香港への赴任の内示が示されました。しかし、間もなくのこととして、智仁氏は「父が亡くなって、すぐなのに」怒りを表します。三枝子氏も「相続の問題の整理がついていない最中に香港に行かせるというのか」と抗議の意を示しました。そして、既述の「お骨事件」につながっていくことになったのです。

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