大戸屋「お家騒動」の調査報告書が、まるで昼ドラのような骨肉の争い
「大戸屋ごはん処」は急成長を遂げました。一方で、思うような収益を上げることができていない事業もあります。洋食店「祇園ミクニ」や上海の「大戸屋ごはん処」、山梨の工場用地、植物工場といった事業が、赤字あるいは減損を生じさせている問題を抱えていました。これらは「負の遺産」と呼ばれています。そうした中、創業家に対する8億円を超える功労金の支給の話が持ち上がります。しかし、「負の遺産」がある中で功労金を支払うことにメインバンクの三菱信託と一部の役員が難色を示しました。そのため、功労金の支払いは先送りされます。
功労金が支払われないことに智仁氏は不信感を抱くようになります。功労金が支払われないと相続税などの支払いが難しくなります。功労金が支払われないのであれば、株を売って相続税などを支払う必要が生じます。そうなると、持ち株比率が低下してしまいます。智仁氏としては納得ができるものではありません。会社側が智仁氏の株を買い取る提案をしたことに対しても、智仁氏は不信感を募るようになりました。会社側が創業家の持ち株比率を下げる動きに出たと捉えたのです。功労金問題でも両者の間に溝が広がっていきました。
会社側と創業家の間では5回にわたって調停が行われましたが、智仁氏は早期の社長就任にこだわりました。一方、会社側は智仁氏の早期の社長就任に難色を示し、実績を上げた上での社長就任を要請しています。智仁氏は大株主とはいえ、公開している上場企業である以上、下積みが必要であるという理由です。しかし、智仁氏は納得がいきませんでした。
会社側は経験を積ませるという理由で智仁氏を香港に赴任させようとしました。しかし、智仁氏は海外にいる間に会社の雰囲気が変わることを恐れました。三枝子氏のアドバイスもあり、香港赴任日の直前に取締役辞任届けを提出しました。智仁氏は会社を離れることになりました。
会社側と創業家の対立は先鋭化していきましたが、両者はなおも和解の道を模索していきます。数回の調停を経て、両者は歩み寄りました。智仁氏については、2年後を軸に経営に参画し、当面は米国の合弁事業の事業責任者として認知し、特別顧問として処遇すること、功労金については、一定額の支給をここ1両年中に株主総会に諮ることが調停の合意文書に盛り込まれました。三枝子氏は「幸せにしてもらった」と会社側に謝意を述べ、社長の窪田氏は和解に深く安堵・感激して落涙しています。
貼られてしまった「消費者感情を無視する店」という最悪のレッテル
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