3.…それなのにカヨコ。
それまで前のめりになって観ていたのに、「カヨコ・アン・パタースン」役の石原さとみがでてきた途端に、わたしはどひゃっ! とのけぞった。なぜカヨコ!
断っておきますが、石原さとみの演技や英語力がだめというのではないですよ! とってもチャーミングなキャラクターだったし、カリフォルニアなまりの英語も自然でベリーグッドだった。
これが、「西海岸に留学したあと外資系企業で働いてる気の強い人」または「押しの強い帰国子女」という役柄であれば、なにも文句はなかった。しかしながら、どう間違っても「アメリカ生まれアメリカ育ちの日系3世で米国大統領を目指す超エリート」の英語ではないし、カヨコの言うこともやることもアメリカ人ではないのである(それに、ワシントンDCの高官として日本に派遣されるレベルのエリートは、たぶんZARAで買い物はしないよ!!)。
石原さとみの問題ではなくて、設定そのものが無理筋すぎるのだ。もしネタでなく真面目なら、ここはホンモノの英語圏の女優を使わなければ無理である。これはたとえば、まるっきり東北弁の人が関西生まれ関西育ちのたこ焼き屋の女将さんを演じるようなもの。「違和感」というレベルではなく、意味がわからない。
アメリカのB級映画には、今でもちゃんとした日本語が喋れない怪しい日本人が出て来る。それはそれで味わい深いけれど、真面目に受け取るわけにはいかない。カヨコはそれの逆バージョンであり、しかもなんとしたことか、この映画のメインキャラの一人で、アメリカを代表する顔なのだ。
フェイクなアメリカ人・カヨコの破壊力はすさまじい。例えば防衛大臣役の余貴美子など、とても説得力があり存在感を放っていたのに、カヨコは登場しただけでそのリアリティを軽々と粉砕してしまうのである。
怪獣映画とはいえ、この映画は真面目なSF映画と同じくらいのシリアスな体験を提供できるポテンシャルがあるはずだし、日本の観客に対してはきっとそれが成功しているはずなのに、英語圏の観客にとってこの映画を少しでも真面目に受け止めるチャンスを、カヨコの存在が徹底的に粉みじんに破壊してしまった。ゴジラ以上の破壊力である。
カヨコが出て来てなにか喋るたびに、どっひゃ~~~! となって心拍数が上がるので、後半はあんまり映画に集中できなくて、もういいからはやくゴジラ出てきて! ゴジラ!と願うのみだった。