国語の読解問題で「本文をよく見ろ」と指導しすぎるのは逆効果な理由

 

1・2レベルの設問の場合、たいていは本文の言葉が部分的・全体的に答えに含まれている。だから、「本文を見れば得点できる」という思考が働き、条件反射的に本文をとにかく眺めるようになるのも、まあ無理はない。

しかし、3のタイプの設問に答える場合は、本文を見れば見るほど、答えが出せなくなることが多い。記述答案の質が低い子は、ほとんどの場合、このパターン。

それが小説読解ならば、求められている抽象度にそぐわない、文中の具体的な描写やセリフをつぎはぎして、答えを作ろうとする。本文ばかり見ているからだ。たとえば、「ぼく、友達みんなに嫌われてるんだよね、きっと」というセリフを、「主人公が疎外感を抱いた」と言いかえるようなことが、できない。

もちろん、自力で抽象化・具体化すると言っても、はじめは本文を頼りにして考えるに決まっている。今の例なら、「ぼく、友達みんなに嫌われてるんだよね、きっと」というセリフを「見る」ことなしに、「疎外感」は出てこない。

しかし、「みんなに嫌われている」=「みんなに距離を置かれている」=「疎外されている」と考えていくプロセスとは、あくまでも本文を離れていくプロセスだ。本文の字面を両目が物理的にとらえている限り、子どもたちは「疎外」などという言葉にはたどり着かない。

本文を見て、しばらく虚空を見つめて、それから手を動かす。そういう子が、記述設問で得点できる子の特徴だ。

それは、解いている様子を見ているだけで教師講師にはすぐ分かる。ああ、あの子はずーーーっと本文を見ているな。書けていないに違いない。ああ、あの子は上を向いて考えているな。期待できるかもしれないぞ。私はいつも、そんなふうに子どもたちを背後から見守りながら、答案を待つ。

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