目の前の急病人を助けない大人が、子供に道徳を教えられるのか

 

道徳は、心の学習であるが、最終的にそれが行動につながっていくから意味がある。どんなにいい意見を言おうが書こうが、やらないのでは意味がない。日本人なら、助けて当然であると思うのだが、自分のことを優先&周りの目を気にしすぎである。自分を「お節介」「偽善者」と思われることをかなり嫌う。しかし、それでは社会が冷たくなるばかりである。

私はわざわざここに書くぐらいの超偽善者なので、その場でその男性に話しかけ、駅員さんを呼んだ。駅員さんも朝のラッシュ時で忙しいので、「そこにいてください」と頼まれた。待つ間、男性に話を聞くと、私が常々やめようと呼びかけている、体調不良で無理矢理出勤しているパターンである。それぞれ事情があるので断定はできないが、基本的に体調不良の時は自分と他人のためにも休むべきである。5分も待つ内に駅の担当の方が来たので、引き渡してその場を離れた。

何を思ったかというと、これでは子どももこうなるだろうと思った次第である。子どもは、常に大人の背中を見ている。歩きスマホも交通違反も、子ども以前に大人が問題である。公衆道徳や思いやりも然り。学習指導要領の改訂や道徳の評価化や心の教育云々以前の問題である。

今回の件が「たまたま」であったならいい。ただ、私は常々「その瞬間たまたまできないことは、必要な瞬間にもできない」と考えている。避難訓練でふざけていて、本当の災害時に大丈夫なはずがないのである。一事が万事である。

社会にいる大人を育てたのが学校教育だといわれたらぐうの音も出ない。だから、道徳教育は真剣に考える必要がある。ただ、それが口先のものでは全く効果がない。学校で、クラスでできないことは、社会に出てもできないということである。社会にいる大人がやらないことを、子どもがやるはずがない。子どもは素直に全部真似するのである。

自主、協働。助け合い・思いやり。

どれも格好良く、きれいな言葉だが、実行時は自分が泥をかぶる覚悟が必要である。美辞麗句に終わらず、実行できる子どもを育てることを真剣に考えていきたい。

 image by: Shutterstock
 
 
「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術
著者/松尾英明
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