なぜ日本人には虫の「声」が聞こえ、外国人には聞こえないのか?

 

アメリカでの虫の音?

虫の音と言えば、筆者にもこんな個人的な体験がある。ボストンから内陸部に車で2時間ほど入った人里離れた山中で、見晴らしの良い所があったので、車を止めて一休みしていると、昼間なのに虫がしきりに鳴いている。

それを聞いているうちに、ふと、そう言えばカリフォルニアに4年も住んでいたが、虫の音に聴き入った覚えがないな、と気がついた。乾燥したカリフォルニアでも沿岸部にはかなり緑も多い。しかし私の記憶の中の光景では、なぜか常に豊かな緑がシーンと静まりかえっているのだ。やかましい蝉しぐれだとか、秋の夜長の虫の音だとかは、どうしても思い出せない。

アメリカ人が虫というとまず思い浮かべるのは、モスキート)、フライ)、ビーなど害虫の類だ。アメリカでは蜂はまだしも、蚊や蠅はほとんどお目にかからない。だからたまに蠅を見かけると、とんでもない不衛生な所だという感じがする。文明生活の敵だとして、とことん退治してしまったのだろうか?

また昆虫を示す単語には、悪い語感が付随している場合が多い。「insect」には「虫けらのような人、卑しむべき人」という使い方があり、「bug」は、「悩ましい、てこずらせる」から、転じてソフトウェアの「バグ」などと使われる。日本語なら「虫けら」とか、蚤、シラミのイメージだ。

虫はすべて害虫でありその鳴く音も雑音と同様に聞くとなれば、蚊や蠅を退治する殺虫剤で、見境なく一緒に全滅させてしまったとしても無理はない。

虫の音に聴き入る文化

日本では対照的に、虫の音に聴き入る文化がある。現代でもコオロギ類の画像と鳴き声を納めたインターネットサイトから、飼育法を解説した書籍まで無数にある。「虫の声」という以下の童謡は、虫の音に聴き入る文化が子供の頃から親しまれている一例である。

あれ松虫が鳴いている
チンチロ チンチロ チンチロリン
あれ 鈴虫も鳴き出した
リン リン リン リン リーン リン
秋の夜長を鳴きとおす
ああ おもしろい 虫の声

この伝統は古代にまで遡る

夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこおろぎ鳴くも
(万葉集、しのに:しっとりと濡れて、しみじみした気分で)

近世では、明治天皇の御製が心に残る。

ひとりしてしづかにきけば聞くままにしげくなりゆくむしのこゑかな

一人静かに耳を傾けると、虫の声がより一層繁く聞こえてくるという、いかにも精密な心理描写である。また虫の「声」という表現が、すでに虫の音も言語脳で聞くという角田教授の発見と符合している。もう一つ明治天皇の御歌を引いておこう。

虫声
さまざまの虫のこゑにもしられけり生きとし生けるものの思ひは

松虫や鈴虫など、さまざまな虫がさまざまな声で鳴いている。それらの声に「生きとし生けるもの」のさまざまな思いが知られる、というのである。人も虫もともに「生きとし生けるもの」として、等しく思いを持つという日本人の自然観がうかがわれる。虫の音も人の声と同様に言語脳で聞く、という日本人の特性は、この文化に見事に照応している。

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