絶世の美女「額田王」恋の謎。万葉集に見る、いにしえの恋愛事情

 

先週お話させていただきましたように柿本人麻呂は

「大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に いほりせるかも」

と彼を読み上げました。

方や、乙巳の変で蘇我入鹿を打ちクーデーターを実施し権力を手に入れようとした男です。欲しいものは、どんな事をしても手に入れる人間と、方やその弟ながら決して負けないだけの力強さと何者にも屈しない精神をもつ男。そんな二人に愛された女性。その気持ちはどれほど大きく揺れ動いたのでしょうか。もしかすると、一時であったのかもしれませんが世界で一番幸せな女性であったのかもしれません

前回ご紹介した時にもお話しさせていただいたと思いますが、この二つの歌は、宴における遊びの歌だというのが最近の考え方です。井上靖の小説の中でも、宴の中で詠みあげています。確かに、宴でもなければどうやって歌を交換したんだということになります。

大海人皇子が遠くで袖を振るのを見つけた額田王が歌を届けるには、大声で叫ぶしかありません。相手は狩りをしているのです。その歌を聞いた大海人皇子が「吾恋ひめやも」と大声で言い返すなんてことはやはり考えられないのです。差し出すとすれば、人知れず「秘めた恋心ですから」と渡す以外、この歌の真意を伝えることはできないように思うからです。

天智天皇は626年生まれですから「蒲生野(かまふの)に遊猟」は668年で42歳、天武天皇は40歳。額田王の生まれ年はわかりませんが、十市皇女が生まれたのが653年。例えば20歳で生んでいたとして、35歳だったということになります。20代ならまだしも、40を超えてこんな純粋な恋をするものかという声もあるようですが、私は、年齢はあまり関係ないのではないかと思ってしまうのです。

天智天皇がまだ即位する前の中大兄皇子の頃に詠んだ三山歌という歌が同じ万葉集に残されています。

「香具山は畝火(うねび)を愛(を)しと 耳梨(みみなし)と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)を 争うらしき」

奈良盆地の南、ちょうど藤原京のあったあたりにある3つの小山を歌ったものです。香具山は畝傍山を愛しいと思って、耳成山と互いに争った。神代からこうであるらしい。古き時代もそうであるからこそ、今の時代の人も妻を争うらしい。という歌です。

大和三山をみて、恋の争いの当事者に見えるというのは、どういう感覚かと思いますが、もしかすると、そこに大海人皇子と額田王が同席していて、この歌を詠んだとするなら、中大兄皇子に「お前も大したものよ」と声かけてやりたくなります。歌に技巧といいますか、隠された背景がないために、私はつまらない歌だと思ってしまうのですが、この歌が3人の恋争いを描いていたとするなら、3人の恋の争いはやはり古くからの因縁を含んでいたとも言えるのです。

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