絶世の美女「額田王」恋の謎。万葉集に見る、いにしえの恋愛事情

 

絶世の美女と言われた額田王。668年の時点では、天智天皇の妃です。
額田王は、宣化天皇の後裔である鏡王(かがみのおおきみ)の娘です。彼女は大海人皇子(後の天武天皇)に嫁ぎます。そして、十市皇女(とおちのひめみこ)を生んでいます。

彼女はどう考えても歌人です。白村江の戦いにいざ出向かんという時の歌「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮も適(かな)ひぬ 今漕ぎ出でな」潮もは、「も」ですから、全ての準備が整ったと言って「いざ、行かん」という人々の士気を奮い立たせる歌を歌っています。この歌も本当に上手いと思うのです。

一方で、同じ万葉集の中に、「額田王の近江天皇を思ひて作れる歌一首」として

「君待つと我が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし秋の風吹く」

という歌が掲載されています。

近江天皇とは近江大津宮を置いた天智天皇のことです。天皇の命には逆らえないということでしょうか。大海人皇子の妻でありながら、兄であった天智天皇に召され、そして、このような歌を残しているのです。

天智天皇を心の底から慕っていたかどうかはわかりませんが、天皇に召されて仕えている以上、天皇を慕う歌を歌会か何かで歌わされたのではないかと思います。額田王の歌にしては、熱を感じない歌です。吹いて揺らすのは「秋の風」です。心が冷めてしまったのですか?という意味にも取れますが、簾が額田王の心だとすると、それを動かす風は春風ではなく秋風なのです。私は、心から慕っていたのではないのだな、と読み取ったのですがいかがでしょうか。

さて、話を戻してルンルン気分の「蒲生野(かまふの)に遊猟」に戻りますと、その歌に対して「皇太子の答えませる御歌」として

「紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆえに 吾恋ひめやも」

として、大海人皇子の歌が載せられています。

「皇太子」というのにちょっと引っかかってしまいます。日本書紀には「大皇弟」と書かれていました。天智天皇は自分の子供の「大友皇子」を天皇にしたかったわけですから、皇太子というのであれば大友皇子です。第一、この時代に皇太子という言葉はないだろうと思うのですが、きっと万葉集を編纂する人が、時代の経緯から大海人皇子を皇太子と呼んだと理解することにしました。そうでないと、歌の意味は大きく変化してしまうからです。

さて、この歌ですが、額田王が「紫野行き標野(しめの)行き」と言っているので、まずは「紫草(むらさき)のにほへる妹」と返します。紫は最高の権威者のみがつけることを許された色です。中臣鎌足が亡くなった時に得た大繊冠は深紫の色でした。つまり、今のあなたはもう紫色をつける女性となってしまっていますねと言っているわけです。紫草で染めた気品ある色のように艶やかなあなたを憎いと思っていたなら、すでに人妻となったあなたをどうして私が恋い慕いましょうか」と歌っているのです。

大海人皇子は、直線的に恋心をぶつけています。男として気持ちがいいですよね。例え、天皇に召されてしまった女性であろうと、好きなものは好きだと言い張るこの気持ち。男性たるものこうでなければいけないと思います。大海人皇子というのは、非常に精神的に強い人であり、それこそ負けん気も強かった人ではないかと思います。

print
いま読まれてます

  • 絶世の美女「額田王」恋の謎。万葉集に見る、いにしえの恋愛事情
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け