個人的には、何年もの間一人の女性を争ってきたというふうに取りたいのですが、それはやはり、幻想なのかも知れません。天智天皇にしてみれば、大海人皇子は何としても敵にしたくなかった人物だと思います。自分の娘のうち、鸕野讃良皇女、大田皇女、大江皇女、新田部皇女と四人も大海人皇子の妃として嫁がせています。鸕野讃良皇女は皇后でした。そして、額田王と大海人皇子との間にできた娘の十市皇女は、大友皇子の妃として迎えています。彼には恋愛という考え方がなく、女性は政治の道具であるという考え方しかなかったのかも知れないのです。
最近はもう少し違う考え方もするようになりました。もしかすると、中大兄皇子が欲しかったものは、刺激だけであったのかもしれないと思うようになりました。彼は精神的に病んでいたのではないかと思われる節が多いためです。また機会がありましたら、彼のサイコティックな一面を紹介させていただきたいと思います。
額田王を絶世の美女と書きましたが、それは後世の人による脚色かも知れません。井上靖の「額田女王」や、宝塚の影響が非常に大きいのだと思います。最近私は、大海人皇子の愛した額田王とは、やはり歌の才こそが魅力の女性だったのではないかと思うようになりました。
「熟田津に」の歌が、斉明天皇の出陣を鼓舞するのをみて、そこに居た中大兄皇子は、彼女の才能を近くに置いて置きたいと願ったのではないかと思うのです。そして、皮肉にも、その才能は大海人皇子との関係において、最も発揮されたということなのではないでしょうか。なぜなら、そこにはやはり愛があったからだと私は思うのです。
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