【書評】奇跡の「水平に開くノート」を作った老人コンビの柔らか頭

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先日掲載の記事「孫のつぶやきが奇跡を生んだ。「おじいちゃんのノート」爆売れ分析」でもご紹介した、中村印刷所の大ヒット商品「ナカプリバイン」。では一体、このノートはどのような経緯で誕生したのでしょうか。無料メルマガ『ビジネス発想源』に、開発者である「二人のおじいちゃん」の奮闘ぶりが記された一冊の書籍が紹介されています。

仕様を超えて

最近読んだ本の内容からの話。

1943年に東京で生まれた中村輝雄氏は、35歳の時、父が創業して北区で操業していた中村印刷所の社長の座を継ぐことになり、高度経済成長期に順調に業績を伸ばした。しかし、バブル経済の崩壊と共に、従来の活版印刷からオフセット印刷が主流の印刷技法になっていき、さらには伝票類も電子化の時代がやってきて、中村印刷所は経営危機に陥った

印刷屋という業種は、印刷物を作って欲しいお客さんが印刷を依頼してくれて初めて仕事になり、自分たちでゼロから何かを作り出して売る、ということをしたことがない。

印刷物の電子化の時代の波によって、中村印刷所の近くにあった製本所も潰れた。全国の製本職人の大会で優勝したこともある中村博愛氏が経営していたこの製本所は、中村印刷所も以前から仕事を発注していたため、中村社長は製本機や断裁機を引き取り、同姓のこの職人をアルバイトで雇うことになった。

中村社長は、待ちの姿勢の商慣習から脱却し、うちにしかない品物をゼロから作り出して売ろう、と、自社の武器となる商品を模索し始めた。

2011年に東京の下町を走る都電荒川線が創業100周年を迎えると耳にして、それを記念する「都電ノート」を作った。従来通りの製法なので、難なくできた。2013年、中村印刷所は北区の産業展に都電ノートのブースを出展したが、来場者のほとんどが素通りしていくだけだった。

都電が好きなのか、若い男性の2人組が都電ノートをパラパラと開いてみたが、「やっぱり、ノートっていうのはこう真ん中が膨らんじゃっておさえないといけないから書きにくいよな」と言ったので、中村社長は「ハハハ、でも、ノートってそういうもんですから」と苦笑いを浮かべて返答をすると、彼らは「そりゃそうだ」と言って立ち去った。

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