まず、舞台となったエリアから考察します。これは単純に面積の話。
あのドラマの舞台となった場所は、アメリカ合衆国の、ニューヨーク州の、ニューヨーク市の、マンハッタンディストリクトの、ロウワーエリア、になります。
ざっと計算すると国土の320000分の1の大きさです。適当な教室を思い浮かべたとしたら、そこにある机の上の消しゴムの大きさにもならない。適当な公園の砂場を想像して、手の平のひとすくいの砂にもならない。残りの砂場すべてがニューヨーク州で、公園全体がアメリカが州国です。
ちなみに日本ほど、アメリカ人は国内を気軽に行き来しません。これは文化の違いかもしれないし、国土の大きさの違いかもしれませんが、アメリカの田舎に住んでいる人間にとってのニューヨーク(特にニューヨーク市)は、もはや外国です。
島根県の郊外に住まわれている方にとっての東京より、はるかに精神的にも、実際の地理的にも、遠い。
例えば、オクラホマ州の農家の人から見る「セックス・アンド・ザ・シティ」は、まだ海外旅行をしたことがない日本の日本人から見る「セックス・アンド・ザ・シティ」と変わらない。 いや、もっと遠いかもしれません。
オクラホマ州の農家の人と「セックス・アンド・ザ・シティ」の主人公たちの共通点は、同じアメリカ人という国籍だけで、近代的な生活であったり、ネット環境の文化であったり、リベラルな宗教観であったり、ひょっとすると「人間」としては、東京で暮らす日本人の方がずっと近いかもしれません。
そのくらい、アメリカは広い。 精神的にも、実質的な距離的にも。
つまりは、この国のほとんどの人にとっての「セックス・アンド・ザ・シティ」は、日本の「セックス・アンド・ザ・シティ」に憧れる美魔女軍団と変わらないくらい外国、に見えるはずです。なので、あのドラマに「アメリカ」は描かれていない。ほんのごく一部の特殊なエリアのことしか描かれていない。
もちろん地理的な大きさはたいして問題ではないかもしれません。
渋谷のスクランブル交差点で、日本全体を想定することはできる。なので、「そんなこと言ってもキリがないじゃないか!」と言われるかもしれません。
ただ単一民族で、国民総インテリの日本とは、ちょっと比較しづらいのも事実です。
とりあえず、まずは、面積的に、あまりに小さなエリアであることを頭に入れておいてください(ただ、その小さなエリアはこの国の他に類をみないほどの圧倒的な都内部分ではあるのだけれど)。