思い出したい。日本人が忘れかけている「いただきます」の誇り

 

カネでは計れない価値

ドイツの市民がリンゴ林の景色を愛でたり、日本の少年が田んぼでメダカを追いかけたり、ということができるのは、当人たちにとっては大きな価値だが、その価値はカネでは計れない

たとえば、ごはん一杯分の米は20円で売り買いされる。これは稲3株分だが、この3株分の稲を育てると、オタマジャクシ35匹、トンボ1匹、ミジンコ5,000匹、豊年エビ11匹が一緒に育つ。

同時に田んぼは豊かな保水機能を持っているので、洪水を防ぎ地下水を涵養する。さらに田んぼの上を渡る涼しい風を生みだし、また人々を和ませる田園風景を提供する。

宇根さんが計算したところ、これらの価格は、控えめに見積もっても50円になる。すなわち日本の農民は20円で米を売りながら、別に50円もの価値を創り出して周囲の人々に無償で提供しているのである。

仮にこの20円の米が高いからと、その田んぼを減反して、外国から米を輸入すれば、「消費者」としては半分の10円で済むかもしれない。

しかし近隣住民として見れば稲作が生み出していた50円分の価値が失われる。豊かな自然と景色が失われ、子どもたちがいろいろな生物に触れる機会がなくなり、洪水や水不足のリスクが高まる。

カネで計れるものだけを追求していったらカネでは計れない価値が失われる。ここに近代的な市場経済からはみ出してしまう農業の真の姿がある。

食べ物を通じて、我々は自然とつながっている

作物はそれだけで育つことはない」と宇根さんは語る。稲ならカエルを、キャベツならモンシロチョウを、ニンジンなら黄アゲハを、イチゴならミツバチを同伴してる。

カエルは、オタマジャクシの頃には田んぼの中で枯れ草や藻などの有機物を食べて分解し、稲が吸収しやすい栄養分に変える。カエルに育つと、ツマグロヨコバイやゾウムシなどの害虫を食べる。

モンシロチョウはキャベツの葉に卵を産み、それが青虫になるとキャベツの葉を食べて育つ。そしてモンシロチョウになると、キャベツの受粉を助けて恩返しをする。同様に黄アゲハはニンジン、ミツバチはイチゴの受粉を助ける。

宇根さんの講演を聞いたある若い母親は、こんな手紙を出した。

今まで、アゲハチョウは自然に育っているとばかり思っていました。ニンジンの葉を食べて育っていたなんて、本当に驚きでした。

この母親には離乳食を与えている子供がいるが、その子がニンジンを食べなくて困っていた。そこで、こう語りかけながら、食べさせるようにした。

あのね、このニンジンはアゲハチョウの幼虫さんも食べているニンジンなのよ。あなたもお母さんも、そしてアゲハチョウもこのニンジンを食べて育っていくのよ。

こう語りかけると、その子は次第にニンジンを食べるようになっていったという。

食べ物というと、我々はとかくカロリーとか、鮮度や味、安全性、価格などという科学的、経済的な面からとらえがちだが、食べ物を通じて我々は自然とつながっている、という感覚を忘れてはならない。そして食べ物によって我々を自然とつなげてくれているのが農業なのだ。

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