彼が肛門に違和感を抱き始めたのは4年前、会社員だった頃。って、人体の最も微妙な部分の異常をカミングアウトしたのは、前作『時をかけるゆとり』で、いまや読書界ではよく知られているらしい。わたしは尻ません。軽めの痔だろうと舐めていたが、やがて自転車のサドルに尻を置くと激痛。だましだまし暮らしていたが、ある朝、血液と膿のようなものが出て激震が走る。「粉瘤」の発症だ。
といってもよくわからん。「粉瘤」で画像検索せよというが、しないほうがいい。「粉瘤はもはや、私のアイデンティティを宿した相棒のような存在」なんてバカを書いていたバカだったが、苦痛に耐えきれず粉瘤専門クリニックに行くと「痔瘻を併発、専門医に行け」と言われる。「痔瘻」とは何か。彼はネットで調べてどどっと血の気が引く。「お尻にもうひとつ、穴が開く」のである。
意味不明の「痔瘻」ではなく、「肛門じゃないところから便とかが出ちゃうかもしれない病」と改名すべきだ」と主張するのだが、まだ「エッセイのネタになる」と思っている。その病院で紹介された病院に行くと患部を撮影され、モニタで自分の肛門を初めてマジマジと見た。それを女医にも見られる恥辱も味わう。
だがその病院では、検査が続き手術まで半年を要すると判明、病院を変えることにする。なぜなら、間に合わないのだ。このエッセイの締切に。この時点で彼の動機は「お尻の平和を取り戻したい」から「自分の身に起きた辛い出来事をエッセイにしてお金をもらいたい」に明確に変貌する。ここまでで1/4、ここからあとが、いよいよ入院と手術と術後が、詳細に文学的に語られるのだ。
ものすごく面白い。他人の不幸を見ているのは楽しい。肛門ファースト病院で、楽観していた彼に看護師が宣告する。見開き最後の行で「手術の前に尿道カテーテルを入れることになります」、次の見開き最初の行は64ポイントの巨大文字で「尿道カテーテル。」。この衝撃は理解できる。二度もやってる。とにかく面白く、とにかく実用的な「痔瘻物語」(とは書いていないが)でありました。
編集長 柴田忠男
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