昔はカタカナの方が使われてた。ひらがなと使用頻度が逆転した訳

 

皆さんもご存知の通り、ひらがなが、あいうえおの順番で表されるようになったのは、最近のことです。それまでは、「いろはにほへと」の順に並んで覚えられていました。つまり、ひらがなは音韻で整理された文字ではなかったのです。五十音のように、まずは母音の「あいうえお」から始まって整理されて使われたのは、カタカナだったのです。

ひらがなは、ご存知の通り平安時代の女性文字として作られ発展しました。漢字をできるだけ早く書こうとすると、省略した字になって行きます。昔から、鉛筆が存在していれば、字の形ももっと角張ったものに対応できたのでしょうが、筆と墨で漢字を早く描くには草書体になって行かざるを得ません。それを突き詰めていくと、ひらがなに形を変えていくのです。

今、中国では簡体字が使われていますが、日本では平安時代に既に独自の簡体字に手をつけていたのです。それが「ひらがな」として完成しました。優美な流れを生む文字が女性文字として好まれ活用され、その文字を用いた物語の世界が作られ、女流文学まで押し上げることで一気に地位を確立したのです。

しかし、あまりにも女性文字としての印象と発展が強かったために、逆に男性は使うことを躊躇するようになりました。この辺りは、言葉や服装と同じであると思います。男性がスカートを履かないのは、禁止されているわけではなく、あまりにも女性の服装としての固定観念が強いためだと思います。紀貫之は女性になりすまして、ひらがなで土佐日記を書きました。

一方の男性はというと、カタカナを使ったのではなく、やはり漢字を使いました。元々は漢文で表記し、その漢文で表記したものを日本語として読むために返り点や、「ヲ」や「コト」と書き込んで、文章を読みやすくするのに使われたのが最初のようです。その後、漢字の音を表すのに用いられたようです。現在残る最古のカタカナ文書は、東大寺に残されている成実論(じょうじつろん)だそうです。この作成年月が、天長五年ですから828年です。ひらがな同様、カタカナも平安時代に生まれて定着したようです。

カタカナを五十音表として整理したのは、天台宗の僧で最澄の親族であったと言われている安然(あんねん)だと言われています。800年代中頃から、900年代にかけて生きた人ですから、五十音表が完成したのは800年代後半のことだったのかもしれません。それ以降、音を表す表記方法としてカタカナが確立したのではないでしょうか。カタカナは、やはり仏教とは切っても切れない関係にあったようです。経を日本で理解するためにはカタカナは欠かせなかったのだと思います。

平安時代には、すでに片仮名の手本書があったとの記録もありますから、文字ができあがったのはもっと前の話になります。「倭片仮字反切義解」という室町時代に書かれたカタカナの説明書には、「天平勝宝年中に到りて右丞相吉備真備公、我が邦に通用する所の仮字四十五字を取り、偏旁点画を省きて片仮字(片仮名)を作る」と記載されています。

留学生吉備真備が作ったというのは非常に興味深く可能性がありそうに思いますが、少なくとも、彼の時代には万葉仮名に取って代わることはなかったのが事実です。着想があったのかもしれませんが、文字まで作られていたかどうかは疑わしいと思います。

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