こう見てくると、ひらがなと、カタカナはどうやら同じ頃に出来上がったようです。「あ」は「安」の字が簡略化されたものであったのに対し、「ア」は「阿」のこざとへんを取り上げたものです。「安」も「阿」も万葉仮名として「あ」の音に当てはめられていましたが、違う音文字を用いているのです。
「あ」のように違う漢字を元にしている場合もあれば、「う」と「ウ」のように、どちらも「宇」から作られたように、同じ文字を元にしているものも多く存在します。50音中30音が同じ漢字から作られているのです。もしかすると、男女で競って、方やカタカナ、方やひらがなを作り上げたのかもしれません。
女流文学として「ひらがな」が広まったのに対し、カタカナは実務の中で必要とされて行ったようです。現存する古文書の中で、カタカナのみで表記された文章が多いのが、神様に誓いを立てるときの起請文(きしょうもん)や、神様に願い事をする願文、それに神様の声を聞き取った託宣文です。公文書を全てカタカナで書くというのは少なかったようですが、裁判において証言を記録する宣命書(せんみょうがき)にはカタカナが多く見られます。
これらは、何かと言うと口語を記録したものです。つまり、漢字ではどのように話したのかを、記録しきれなかったことがカタカナの需要につながったようです。ひらがなが、男女の恋文のやりとりで広まったのとは対照的です。
「了解」と書くと、理解した上で同意したということになりますが、「よく、わかりましてございます。」と言ったのか、「わかったって言ってんだろ」と言ったのかの表現できません。「あなた方がおっしゃったこと」というのと、「おめーらが言ったこと」というのは同じことを言っていますが、受ける印象は大いに違います。
こういう口語を記録しておくには、カタカナかひらがなを使うしかなかったのですが、公的に記録される時には、ひらがなではなく、カタカナが使われたのです。これは、書き文字として広まったかどうか以前に、ひらがなが、あくまで女性文字として認識されたためのことだったと思われます。
現代においては、海外からの言葉は全てカタカナで表記されるようになり、自ずと住み分けが進みました。今では、カタカナは外来語だけに使われ、ひらがなが普通の日本語として用いられるようになりました。ひらがなが、より日本らしい美しさを持つと判断されたせいなのかもしれません。
私は、紫式部や清少納言の実績が大きく影響していると思っているのです。また、日本人の気質として、鋭利な形より、丸みを帯びた形を好む民族であることが根底にあるのかもしれません。
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