深い意味を持つ「いただきます」の習慣、歴史は浅く昭和に定着か

 

わたしは自分でご飯を作って、一人で食べる時でも「いただきます」を言う。

長年にわたり、ごく漠然と、「いただきます」「ごちそうさま」は、食べものの恵みに感謝する簡易版お祈りのようなものだと解釈していた。

自分が育てたわけでもない食べものが、複雑な世の中をめぐって手に入ることへの感謝、ちょっと前まで生きていたもの(植物も含め)を栄養分として身体にもらうことへの感謝、味わえることへの感謝、など。

でもこれは共通の認識ではないことを最近知った。

下田美咲さんという、若く可愛らしいお嬢さんが書いているコラムに「いただきますを言う人は何にも考えていない」という記事があった。

「自分が料理を作る時は、一秒もムダにせずにあたたかく美味しいうちに食べてほしいから、そんな意味のない定型的なことを言ってる暇があったらさっさと食べるほうが作った人に対する礼儀にかなっている」という主旨だった。

「 いただきます」「ごちそうさま」を言う人は、何も考えてない人

なるほどー! 「いただきます」は単に作った人あるいは、おごってくれた人に対するお礼の挨拶だと思っている人もいるんだ! これはちょっと新鮮な驚きだった。

そうかと思えば、浄土真宗の僧侶である大來尚順さんという方が『東洋経済』に書いているコラムには、

本来「いただきます」の前には「いのちを」という言葉が隠されているのです。これを英語にすると「I take your life.」(私は「いのち」を奪う)となり、ストレートでわかりやすくなります。

この意味を踏まえると、まず「いただきます」と口にして思うべきことは、「申しわけない」という他のいのちへの懺悔(ざんげ)なのです。すると自ずと頭が下がります。そして、そこから感謝が生まれてくるのです。

……と断言されている。

「いただきます」の日本語に隠された深い真意

「いただきます」は、料理を作った人やおごってくれた人にだけ向ける挨拶だと思っている人もいれば、「他のいのちへの懺悔」にまで思いを馳せている人もいる。

どっちかが正しいということはないと思うが、日本人の中でも「いただきます」について、こうまでとらえ方が違うのだ、とあらためて驚かされる。

print
いま読まれてます

  • 深い意味を持つ「いただきます」の習慣、歴史は浅く昭和に定着か
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け