日本人はずっと昔から「いただきます」「ごちそうさま」と言い続けてきたはずなのにこれほどコンセンサスがないとは不思議。……と思ったら、それも違った。
なんと、この習慣が全国に定着したのは昭和になってから、という説が有力のようなのだ。知らなかった。
そういえば、明治や大正に書かれた小説の食事風景で誰かが「いただきます」と言っている場面を読んだことがない気がする。
ウィキペディアのリンクで篠賀大祐さんという方の『日本人はいつから「いただきます」するようになったのか』という電子書籍を見つけて、読んでみた。
短い本だが、「いただきます」と言う時に合掌する人が多い地域と、少ない地域を比較した、分布図も出ていて面白かった。
語源と歴史については、「いただきます」を飲食の意味で用いるのは、狂言にも例があるので歴史は古いが、17世紀はじめ頃の日本語とポルトガルの辞書には「いただきます」の項に食事に関する挨拶の意味が載っていないことから、その当時には一般的な用法ではなかったと思われる、という主旨のことが書かれている。
著者の篠賀さんは、「いただきます」「ごちそうさま」には方言が存在しないということに注目して、したがってこの言葉はテレビや新聞ができてから全国にひろまったのではないか、と指摘している。これは鋭い視点だと思う。
さらに、柳田國男が昭和17年に書いた「最近はやたらにイタダクという言葉が乱用されているが、これはラジオの料理番組のせいであろう」という主旨の文章を引用して、やはり「いただきます」はこの文章が書かれた昭和17年頃に普及し始めたのだろう、と結論している。
また、昭和初期の調査で、調査対象となったすべての家庭が神棚や仏壇にご飯を供えていたという結果にもとづき、篠賀さんは「現在では仏壇や神棚のない家も多くなっている。そのため、食前のお供えの風習が変化し、仏に対しての祈りの仕草である合掌が、食事の挨拶の仕草となったのではないだろうか」と書いている。
篠賀さんの言うように、「いただきます」「ごちそうさま」は、神仏に手を合わせる代わりの行動として根づいた習慣なのだろうか。そうだとすれば、やはり、うっすらと、ではあっても「祈り」の性格をもった習慣だといえる。
でも考えてみれば奇妙なことに、「何に」手を合わせるのか、「誰に」言っているのかについて、日本人の間にほとんど共通の認識がないし、意識している人も少ない。
だから下田さんのように、あくまでも人対人の意味のない挨拶だと考える人もいるほど、自動的な言葉になっている。