なぜテレビや報道は「非協力的な貴乃花親方」に焦点をあてたのか
第二の問題は、スポーツが文科省に所属しているように、スポーツというのはボールを追いかけたり、槍を遠くに投げるという一見して意味のないことを競争として行うものですが、それでも成績の良いスポーツマンは尊敬され、時には国民栄誉賞に輝くのは、「スポーツそのものではなく、スポーツが人間を立派にする」ということで社会が尊敬の念を持っているからです。
今回の事件は、このような意味でスポーツの価値を貶め、一般人より人情の劣る人たちということになったという点で社会的な打撃が大きかったといえます。
しかし、現実には事件の直後から「協会に協力しない貴乃花親方」に焦点があたり、事件そのものの整理や評価が遅れたのは、なぜでしょうか?特に相撲関係者で横綱審議会や危機管理委員会などの人たちがほぼ一斉に貴乃花を非難し、日馬富士の引退を評価したり、同席していた白鵬の発言を咎めなかった理由を考えてみる必要があります。
私は長く相撲を見てきましたし、年に一度開かれる名古屋場所に毎年行っていますが、私が相撲を見たいのは、裏に暴力があったりお金のやり取りをしたり、国や郷里のことで相撲を汚したりするような相撲ではありません。インタビューにはうまく応じられないけれど、黙々と修業を積み、人格を磨き上げていくお相撲取りの姿に感激するからです。
またスポーツに原則として国境はありませんが、それぞれに国には国技ともいえる特有のスポーツがあり、その国の伝統を表しているのも事実です。相撲は神事であり、日本の文化でもあります。他の国の力士は必ずしもすべてにおいて日本の伝統に従う必要はありませんが、少なくとも人間として尊重されるような言動が必要なことは万国共通です。
その意味で、もっとも相撲ファンであるべき相撲協会の関係者が、日馬富士および同席者に対して処罰の議論を進めないのは理解できないことです。また、テレビ、新聞もどちらかというと被害者の貴ノ岩関係者に厳しく、加害者に甘い姿勢が見られました。その中には「相撲には暴力が伴うのだ」とか、「協会に逆らうなんてとんでもない」などの意見があるとともに、「社会の規律より相撲の社会の悪癖を大切にするべきだ」という思想が見え隠れしたのは残念なことです。