戦後、日本は日米同盟を基軸に外交政策を打ち立て、米国が唱導する民主主義に追随する社会の仕組みを目指してきた。
そのすべてが間違いとは言わないが、米国が「東南アジアの戦争では、アメリカ軍はベトナム、ラオス、カンボジアに、1945年に日本の60を超える都市に対する破滅的な空爆で使った爆弾の、40倍以上にのぼる量の爆弾を投下」した中で、日本が加担した事実は揺るぎ無い。
湾岸戦争や2001年9月11日の米中枢同時テロ以降のアフガニスタン、イラクへの攻撃でも日本はその「貢献」について議論し、それなりの献身さで戦争に加担してきた。
ここで立ち現れ、そして私が強調したいのは、メンタルヘルスの問題だ。「戦争で打撃を受けた地域では、(通常は10人に1人のところ)6人に1人が精神障がいを患うと言われている。アメリカ軍兵員に関してだけ言うなら、心的外傷に真剣な注意が払われるようになったのは、アメリカ軍がベトナムから撤退してから7年後の1980年からであり、そのとき初めて心的外傷後ストレス障害(PTSD)がメンタルヘルス問題として公式に認められた」ことを出発点に考えると、私たちはそれを作り出してきたともいえるのだ。
私たち日本が貢献したアフガンスタンとイラクの戦争について、同書では
2001年10月から07年10月までの間にアフガニスタンとイラクに派遣された、164万人のアメリカ軍兵を対象とする大規模な調査が2008年に行われたが、その結果、『約30万人が現在PTSDか重度のうつ病を患っており、32万人が派遣中に心的外傷性脳障害(TBI)と思われる症状を経験した』との推計
を紹介しているから、被害者はアフガニスタンやイラクの兵士や市民だけではない。
ここに、私たちが知らない間に、精神障がいを作り出している現実があぶり出されている。社会の構造化された内部に、気持ちを押しつぶさせてしまう事実が含まれている。
それは戦争では顕著であるし、私たちの日常生活にもそれはある。戦争という暴力装置が作動する状態にあってもなくても、人を圧迫する装置は、無自覚にあっても加担することにもなり得る。
私たちは、戦争は勿論だが、社会の構造化された中で、人を圧迫していないのか常に検証する必要に迫られている社会に生きているのだ。
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