引きこもりで精神崩壊。哲学者・小川仁志が陥った自堕落生活

2018.03.19
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今まで100冊以上の著書を出版し、NHKの番組で哲学を知らない人たちに向けてわかりやすく名著を紹介したことでも話題になった哲学者の小川仁志さん。京大を出て、伊藤忠商事に就職するまでは順風満帆でしたが、赴任先の台湾で民主化運動に感化され、勢いで辞表を提出してから、坂道を転げ落ちるように人生が狂い始めました。しかし、皮肉にもそれが彼と「哲学」との出逢いだったのです。

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プロフィール:小川仁志(おがわ・ひとし)
1970年、京都府生まれ。哲学者・山口大学国際総合科学部准教授。京都大学法学部卒、名古屋市立大学大学院博士後期課程修了。博士(人間文化)。米プリンストン大学客員研究員等を経て現職。大学で新しいグローバル教育を牽引する傍ら、商店街で「哲学カフェ」を主宰するなど、市民のための哲学を実践している。2018年4月からはEテレ「世界の哲学者に人生相談」(木曜23時〜)にレギュラー出演。専門は公共哲学。著書も多く、海外での翻訳出版も含めると100冊以上。近著に『哲学の最新キーワードを読む』(講談社現代新書)等多数。 ブログ「哲学者の小川さん

小川仁志の情熱人生―挫折、努力、ときどき哲学 第三回

フリーターから引きこもりへ―20代後半の黒歴史

前回は私がかっこよく会社を辞めるところまでを紹介しました。今回はそこから転落していく私の黒歴史についてお話したいと思います。社会を変えると意気込んで退職したものの、当時の私には何もありませんでした。一流商社で働いたといっても、短い期間だったので、なんの業績もありません。資格もない。学歴はあるが、それだけでは何ができるというものでもありません。

そこで私は、台湾で影響を受けた陳水扁にならって、人権派弁護士として働きながら社会を変えていくことにしました。一応法学部出身でしたから、まじめに勉強はしていなくても、自分にとって一番身近な大型資格は司法試験だったのです。ところが、当時の司法試験は今とは違って超難関です。合格率2%台で、10年かかっても合格できない人がざらでした。

しかし、挫折知らずの天狗、ヤング小川仁志は、1年も自分で勉強すればなんとかなると勝手に思い込み、予備校にも行かず、なんと独学を始めたのです。お金は商社マン時代に貯めたものと退職金が少しあったので、節約してバイトをすれば1年ちょっとはやっていけそうな感じでした。この時は、最悪2年は自由な生活を送ろうと決めていました。

そう、予備校にも行かなかったのは、とにかく自由になりたかったのです。そして中野に学生が住むようなワンルームマンションを借り、有り余る時間を読書やボケっと過ごす時間に費やしました。商社マン時代には一切なかったことです。遊びも含め余りにも忙しかったので。

今、読書と書きましたが、それが私の司法試験の勉強法だったのです。法思想の本を読んだり、裁判のノンフィクションを読んだりと。普通は一生懸命受験勉強のような暗記をするみたいですが、そんなつまらないことはもうこりごりでした。それが仇となり、あっという間に1年が過ぎましたが、なんの知識も実力もつかないまま試験本番を迎えることになります。

結果は当然不合格。すでに弁護士や大学で教員になっていた友人たちからは、そんなことでは一生受からないといわれました。でも、もう1回くらいやれば大丈夫だろうと、相変わらずバイトをしながらのんびり晴耕雨読の生活を続けたのです。客観的にはきちんと受験勉強しているとはいえないので、完全なフリーター状態でした。

さすがに2年目は模試などは受けたりもしたのですが結果が悪くても一向に気になりませんでした。まだまだ気持ちに変な余裕があったのです。そして案の定、不合格。さすがに予定の2年が過ぎ、やばい状態になってしまいました。とはいえ、再就職する気にはなれませんでした。あれだけかっこつけて会社を辞めたのに、挫折の後こっそり別の会社で働いているというのは耐えられなかったのです。いったいどうしたものか。私にとって初めての挫折でした。すでに戦意喪失していましたが、表向きは勉強を続けるといって、結局ずるずるとフリーター生活の延長を選択しました。

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