東洋思想研究者の安岡正篤によれば、吉田松陰の話し方を「平常の音声なども極めて低く柔かく、一体に蒲柳(ほりゅう)の質であった」と表現している(『日本精神の研究』安岡正篤著 致知出版社より)。
この「蒲柳の質」をどうにかして身に付けたい。どうにも、剛の質である。しかしながら、目指す価値がある。
ちなみに、私の友人の教師で「こんにゃくファイター」というあだ名をもった人がいる(「もった人がいる」とか他人事のように言っているが、勝手にそんなあだ名を付けたのは私である)。この人は、一体に蒲柳の質である。管理職も認める、謝罪のプロであり、クレーム対応のプロであった。志や向上心というものはあまり感じられなかったが、人間関係のクッション的役割が非常にうまい。どこに行っても、重宝する人材である。
もしかしたら、身の回りに自分の「先生」がいるかもしれない。
「天真」を引き出すための、自分の在り方を問う。我が身を振り返り、反省しきりである。
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