薬学部に進みながら哲学や心理学などの本を読み漁り、人間とは何かを考え、どのように行動するべきなのかを大学生活の4年間で考え抜いた小原一将さんが、メルマガ『人間をとことん考える(人間論)』の中で今回考えているのは「嘘」についてです。嘘の中でも、誰についてつく嘘が問題なのか、人間としての成長を考えるなら、自分への嘘に逃げてはいけないと、小原さんは考えます。
だれに嘘をつくのかを考える
嘘をつくというのは二種類あると思っている。他人に嘘をつく場合と自分に嘘をつく場合だ。良い嘘と悪い嘘があるという議論も面白いのだが、私にとってだれに嘘をつくのかということの方が重要に思える。
どちらの方が簡単だろうか?周りの人に嘘をつく方が簡単で、何もかも知っている自分に嘘をつく方が難しいと思う人もいるかもしれない。しかしそれは全く逆だと考える。
意外と他人の嘘は見抜くことができる。つまり自分の嘘は見抜かれていることが多い。具体的にどこが嘘で真実はどうかというところまでは分からなかったとしても、なんとなく相手が嘘をついているというのは分かるものだ。
自分に嘘をつく場合は難しいと思うかもしれないが、これは間違いなく簡単である。むしろ嘘をついていることに気づかないことすらある。
こんなことをいつまでにしておこうと自分で決めたとする。だが期限になってもそれが完了していない場合、最近は忙しかったからしょうがないと自分に言うことはないだろうか。これを自分に嘘をつくと定義するかどうかは人それぞれだが私は嘘をついていると思っている。
期限を決めてそれを行うはずだった自分に言い訳をして嘘をつき、それに自分は騙されているわけだ。自分で自分を騙している。これを積み上げていくと自分で自分に嘘をつくことに罪悪感を感じなくなってしまう。
成長するためにはいかに自分に嘘をつかないようにするかがとても重要になる。失敗や様々な経験に嘘をつかず正面から向き合い自分の中で消化することが成長するための唯一の道だろう。自己啓発本を読んだり、夢だけを声高に語っても意味はない。
理想を言えば他人にも自分にも嘘をつかない人が素晴らしい。しかし人間関係を構築していく以上、マイルドな嘘はどうしても必要になる。コミュニケーション術としての嘘はある程度許容し、自分には嘘をつかないように心がけるべきだ。
自分を嘘で塗り固めた人は大人になってすぐに分かる。その人と接していても「実」がなく「嘘」ばかりなのだ。そんな人間になってはいけない。自分の感情が湧き上がってきた時に、自分を騙そうとしているかもしれないと踏みとどまる必要がある。自分を騙そうとする自分に騙されないようにするのだ。それを繰り返すうちに自分の芯が根付き強くなっていく。
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