教員の話
仮に栗原心愛ちゃんと同じような状況であった子を教員が発見した場合、どのような対応が可能か聞いてみた。すでにガイドラインがあり、見てわかるレベルであれば、校長に確認してすぐに児童相談所に通報するそうだ。
ガイドラインでは、本人以外にも親などにも確認してから職員会議や学校経営層での承認を経て児童相談所などに通報するということになっているが、「そんなのしていたら、子供が死んじゃうでしょ」ということから、すぐに通報という手段を取る事もあるとのことであった。
多くの学校教員はいじめでこそ後手後手の対応が目につくが、児童虐待問題については戦う姿勢の教員が多く、実務上の機能的なシステムはできているのだ。
運用する学校は、この事件でも一時保護までさせている実績があるが、もう一方は気がつかず、本来最も動くべき教育委員会が敵前逃亡の上、機密情報まで漏らすという大失態をしたのである。要は無能なのだ。できない人にどんなに良い道具を持たせても、できないものはできないのだ。
児童相談所の限界
虐待死が起きるたびに、児童相談所は徹底的な批判の嵐に晒されてきた。その度に言われるのが人員不足だ。確かに、職員の労働環境は極めてきつい。一人が抱える案件数が度を越しているのだ。
しかし、付け焼き刃の人員強化をしても無駄であり、人が育ち機能し始めるまでには、数年待つ必要もある。
ただし、今回の事件で出た柏児童相談所の所長は経歴を見る限り、児童相談所の職員としてはベテランと言える。一時保護までの判断も早かった。しかし、保護解除までの経緯は、勇一郎容疑者を恐れての意味合いがチラつき、要領を得ない。
ベテランであっても、怖いものは怖いのだろう。本来それではいけないのだが、児童生徒にまつわる問題ではモンペやクレーマー、異様なキレ方をする大人は必ずいるものだ。現場は危険なのだ。24時間いつでも起きる虐待事件に児相単独では対応できないし、学校と教育委員会といくら連携するにしても、心愛ちゃん虐待死事件で起きたように、虐待親からの恫喝に屈し、「ひみつはまもるよ」と書いてあった守られるはずのアンケートを渡してしまっている。
つまり、この連携も児童相談所も限界なのだ。