さて、当時は末法の世が近づいていた時代です。なので、現世利益の信仰の対象である薬師如来から、来世での極楽往生をかなえる九体阿弥陀如来に本尊が変わったと伝えられています。
中央の池は荘園への灌漑用水池で、観賞用の庭園ではなく農民たちへ奉仕の目的を持っていたようです。
感心させられるのは、九体阿弥陀如来像の中尊から見て、春分、秋分の日の太陽が三重塔の真上に登るというのです。反対に三重塔から見て、春分の日、秋分の日に、太陽が中尊の方位に沈むようにお堂が建てられているのです。また、九体阿弥陀如来像の南端の仏像から見て夏至の日の太陽が、反対に北端の仏像から見て冬至の日の太陽が三重塔から昇るように建てられています。阿弥陀堂の正面の幅は約25メートルあります。この長さは季節によって変化する太陽の通り道によって割り出されたものと考えられています。
かつて灌漑用水池として庭園の池が使われていたことと共に、農耕に必要な暦も民衆に提供していたということなのでしょう。昔の人の生活の知恵を垣間見ることが出来るとても貴重なお寺です。
有名な観光寺院の派手さはありませんが、それらと対照的な存在感と魅力を今に伝えています。市内中心部からのアクセスはあまり良くないですが、足を運ぶ価値はあります。寺社巡りに違った楽しみを感じることと思います。
京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。
image by: 京都フリー写真素材
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