この話でよくたとえ話として使うのは、小さい頃の歯磨き。小さい頃は、朝起きて(もしくは、食べた後)、寝る前に歯を磨くことを両親から強制されたはず。両親からすれば、子供が嫌がることをさせるのは、本来は嫌なはずだが、でも、子供のことを考えて厳しく強制させる!
きっとその頃は誰もが、歯を磨くことがすごく面倒であったはずだし、できればやりたくなかったはずだ。たまに、両親がなんかの都合で歯磨きを忘れていてそのまま時が過ぎようものなら、「よっしゃー!」と心の中でガッツポーズを作って喜んでいたことがきっとあったのではないだろうか?
でも、嫌々でも毎日歯磨きを行うことで、いつからか逆に、「やらないと気持ち悪く」なってきて、両親から言われなくても自主的に歯磨きをする日がやってきて、それ以来、誰に強制されることなく、みずから進んで歯磨きを行なうようになったのではないだろうか?これは、歯磨きが習慣化されたことと、年齢を重ねるうちに、歯磨きの大切さを自分自身徐々に理解していくことが要因だと思う。
同じように、飲食の仕事でも、まずは「強制的にやらせる」ことを継続してやらせ、そして、習慣化し、その中でその仕事の大切さを徐々に理解させていくとのだ。
「やらされる」のは、相手に嫌がられるし、「やらせる」方としてはとても気を遣うもの。しかし、本当に相手のことを思うなら、時には「強制的にやらせる」ことも大切で、嫌われ役になることから逃げてはならない!
相手の成長を本当に考えるなら、時には、すすんで嫌われ役になるべきだ!
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