違和感しかない。日本メディアの悪癖「実年齢」報道に潜む大問題

 

こうした「年齢報道」ですが、特に目的があるのではなく、メディアの方が形式主義に陥っているだけだとか、細かいことにこだわる日本の悪いクセだとかという解説が多くされます。ですから、特に弊害はないという理解が一般的なようです。

そうなのでしょうか?実はそのウラには大きな問題が潜んでいると思うのです。

日本社会が年齢にこだわるのは、事件報道に関係する人物や、芸能人の年齢に関して漠然とした好奇心があるからではありません。そうではなくて、実社会におけるコミュニケーション様式に原因があるのです。

それは年齢による上下のヒエラルキーという問題です。一歳でも年齢が上なら、まず「タメ口」ではなく敬語で話した方が無難、会議や食事の場合は上座にという「序列意識」がコミュニケーションの中で意識されるからです。

仕事でも、プライベートでも、例えば近所付き合いや町内会でも、勿論、日本社会におけるヒエラルキーは、年齢だけで決まるわけではありませんが、とにかく漠然とした「序列」として年齢というものがあり、そこに心理的なプライドというものが紐付けされているのです。

何かにつけて日本人が年齢にこだわるのは、そのためです。そして、そのような習慣はもうオワコンなのです。

例えば、企業内の人事がそうです。年功序列で昇進するというような「のんきな人事」を続けられる会社は少なくなり、年齢が若い人が管理職として、年齢が上の人をマネージすることは当たり前になっています。

その際に、年齢が逆転しているから「お互いにやりにくいなどという甘えはもう許されない時代です。また、そのような年齢の逆転に加えて、出身国や性別など多様な人材が組織内でイヤな思いをしないように、「経営者や管理職は徹底的に腰を低くして、社内の風通しを良くする」とか「全員がお互いを『さん付け』で呼ぶ」とか「下から上も、上から下もデスマス調の丁寧なトークを心がける」といったフラットな組織を目指している企業も増えています。

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