1つ目は、個人が規範の奴隷ではなく、規範の主人になる教育です。エリートと非エリートの違いは、その規範が物理学の法則なのか、景気刺激政策なのか、それとも老人への入浴ケアの段取りなのか、居酒屋や温泉旅館での例外対応なのかの違いに過ぎません。AL(アクティブ・ラーニング)などと大げさなことを言う教師や役所に限って、その点を理解していないと言うことも注意する必要があります。
2つ目は、男女交際を経験させてその内容をレベルアップさせる教育です。思春期の6年間にしっかり意味のある試行錯誤をさせておけば、結婚や子育てをしっかり当事者として考え、そこからホンモノの幸福を引き出すスキルも身につくと思います。
3つ目は、進路教育です。学問も、他の課外活動も、全てが将来の進路を考え、そのための情報収集とスキル獲得のために全部が有機的に結びついているようにするのです。
そう申し上げると、それでは職業教育で一般教養が外されるなどと言う文句を言う人が出てきそうですが、違います。
本当の職業人・社会人になるには、歴史も文学も、そして勿論、サイエンスの基礎は絶対に知らなくてはなりません。そういう部分を落とせと言っているのではありません。
そうではなくて、思春期の6年間を通じてしっかり進路に関する考え方とモチベーションを固めるような機会を与えなくてはダメです。
法曹志望なら、法廷だけでなく、刑務所も法務局も競売も見ておくべきですし、金融志望ならシンガポールや香港へ修学旅行へ行って見聞を広めるべきでしょう。医師や看護の志望なら、病院だけでなく、救命の現場、死亡告知の現場なども見学して、進路への思いを固めさせる…そうしたホンモノの現場を見る、その経験に基づいて将来の進路へのモチベーションを持たせるのです。
観光の現場、外食の現場、事務の現場、福祉の現場…ボランティアという美名もいいですが、とにかく自分が人生をかけて取り組むべきことは何なのか、それをしっかり教育を通じて考えさせて、モチベーションを内発的なものとして引っ張り出すのです。そうした教育のできる社会と、できない社会とでは大きな差がつくのではないでしょうか?
日本が先進国に踏みとどまるとか、少ない子供達を丁寧に育てるというのはそういうことだと思うのです。教育の中で最も大切なのは思春期教育です。この思春期教育について、これだけ手を抜いて国を衰退させてきたのですから、もうそろそろ目を覚ますべきと思います。あと数年、このままの状態を続けたら手遅れになって国家の衰退どころか滅亡へのスピードが加速すると思います。
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