米の提案も突っぱねる東京ディズニーランドが直面した2度の試練

 

今や国内だけでなく世界各国から観光客が押し寄せる東京ディズニーランド(TDL)ですが、スタート時から順風満帆の航海を続けてきたというわけではないようです。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、オリエンタルランド会長の加賀見俊夫さんとウシオ電機会長の牛尾治朗さんの対談を通して、TDLが歩んできた試行錯誤の歴史を紹介しています。

日本人に合ったディズニーランドを

いまや年間3,000万人が嬉々として訪れる東京ディズニーランド。その創設期から携わってこられた加賀見俊夫さんが振り返る、ディズニーが直面した2つの試練とは

枠を破る 加賀見俊夫(オリエンタルランド会長)× 牛尾治朗(ウシオ電機会長)

牛尾 「傍目には順調に成長を果たしてこられたように映りますが、特に厳しかったことはありますか」

加賀見 「2回あります。1回目は東京ディズニーランドがオープンした直後でした。1年目に目標だった1,000万人のご来園を何とか達成することができたのですが、これをいかにキープするかが大きな問題でした。特に3年目は相当厳しかったですね」

牛尾 「どのようにして乗り越えられたのですか」

加賀見 「やはり鍵を握るのはサービスでした。サービスの質さえ落とさなければ大丈夫だと考えて、1,000万人を達成しても決して気を緩めることなく、もう一度原点に戻って誠実にお客様一人ひとりをお迎えしました。それをお客様も評価してくださったのだと思います。

2回目の試練は、2001年に東京ディズニーシーを開園した時でした。あいにく当初は思うように客足が伸びなくて、コンセプトを変えてディズニーランドに戻すかという意見も出たんです。けれども私は最後まで反対して、東京ディズニーシーのコンセプトを貫いたんです」

牛尾 「2つのパークはコンセプトが違うんですね

加賀見 「基本は同じなんですが、お客様の受ける印象が全然違うんです。東京ディズニーランドのほうは、創設者のウォルト・ディズニーが描いた夢に基づいてアトラクションができているのに対して、東京ディズニーシーは世界初の海をテーマにしたディズニーパークでしてね。ベニスとか地中海とか、世界各地の素晴らしい場所を想起していただけるようなアトラクションになっているんです。

前駐日米大使のキャロライン・ケネディさんにお越しいただいた際も、園内のケープコッドというエリアに立ち寄られて『懐かしい』と大変喜んでくださいました」

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