国際交渉人が警戒。アルジェリアの政変が地域にもたらす変動の嵐

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アルジェリアのブテフィリカ大統領が辞任を表明しました。この知らせをアルジェリア人から受けたというメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』の著者の島田さんは、独裁体制は終わっても、アルジェリアの未来に明るい光が差したとはとても言えないと、理由を3つ上げて解説しています。さらに、アルジェリアの動静は、トルコの中東での立場の変化も相まって、北アフリカ・中東地域に大きな変動を引き起こすかもしれないと警戒を呼びかけています。

中東・北アフリカ地域が直面する再編の波

ブテフィリカがついに辞めた」。昨日、興奮した様子でアルジェリア人から連絡がやってきました。2013年に脳梗塞で倒れ、フランスで治療に入ってから、これまで何度も、ジョークなのかどうかは分かりませんが、死亡説が流布されていましたが、この大統領の座からついに降りたという話は初めてでした。

これまで病気の後遺症でほとんど公の場に姿を見せることなく、大統領としての職務が可能なのか否か怪しいとされていましたが、その『威光』はしっかりしているのか、もしくは、周辺にいるエリート集団のPourvoirがそうコントロールしているのか、政治的に重要とされる局面には、ブテフィリカの声は届いていました。度々首相や閣僚を入れ替えることで、自分以外の人間への権力の集中を阻んできましたが、ついにそれも終わったようです。

2010年に隣国チュニジアで端を発した『アラブの春』では、アルジェリアでもブテフィリカ氏の独裁に対する混乱はありましたが、「国民の声を聴く」と社会保障の拡充や職の斡旋といった社会政策を通じて、何とか抑え込むことが出来ていました。

しかし、その際の社会政策はさらなる国家経済の破綻の引き金となり、長引く原油価格の低レベルでの安定は、アルジェリア経済を回復不可能なレベルまで悪化させ、失業率も4-5割に到達する事態になっていました。

その元凶をブテフィリカ氏とその周辺の特権層に見つけた国民は、首都アルジェはもちろん、アルジェリア各地で大規模なデモに訴え、ついにブテフィリカ氏の独裁体制に終止符を打つことになりました。

ここまでであれば、「ついにアルジェリアも近代化され、明るい未来が…」というストーリーに繋がるはずなのですが、どうもそう一筋縄では行かないようです。

それはなぜか?主に3つの理由が考えられます。

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