「ない」という表現を考察してわかった人間という生き物の皮肉

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『傘がない』と嘆き、歌ったのは井上陽水さんですが、「傘」という存在そのものを知らなかったら「傘がない」という表現は生まれず、「傘」という物を知ってしまったからこそ、「ない」ことへの絶望が生まれたのかもしれません。メルマガ『8人ばなし』の著者・山崎勝義さんが、「ない」という表現を突き詰めて考え導き出したものは、人は、さまざまなことを知りたいと願うが故に「ない」ことに気づき、「欲しい」と願ってしまう人間の皮肉でした。

『ない』のこと

「ない」という言葉があるという事実はなかなかに不思議なことである。何故なら如何なる言語においてもその発生は必ず、あるもの、即ち存在するものを言うことから始まったに違いないからだ。例えば、眼前の「tree」「hand」「eye」を指して「木」「手」「目」と言うようにである。

因みに、日本語においてはまず一音節の単語(前述「き(木)」「て(手)」「め(目)」など)が成立し、次いで二音節の単語(「みず(水)」「あし(足)」「はら(腹)」など)が成立して行ったものと大凡推測できる。

つまり発声上、最も手間のかからない一音節や二音節の単語より日本語は生まれ、発展して行ったのである。逆に言えば、一音節・二音節で表わされるものは今も昔も変わらず、生物たる、そして人間たる日本人にとって身近な存在だったということである。

このように考えると、「ない」という表現の特殊性がますます際立って来るように思う。ここで改めて「ある」の対立概念「ない」について考察してみたい。

そもそも「ない」という表現は未知の事物に対しては使えない。この世にあるかどうかさえ知れぬものごとを「ない」とは言えないからである。言い換えれば、既知のものの不在を述べるのがこの「ない」なのである。

その未知と既知の関係について考える。一般的な感覚としては、それまでずっと知らなかったもの(即ち、未知)が、認知の瞬間から新たな知見(即ち、既知)となるような気がする。しかし、実のところこれは逆で、既知の瞬間にそれまで未知であったことに気付かされるというのが正しいのである。

ということは、「ない」という不在の感覚は決して自発的に生ずるものではないと言えるのである。現実には他(他者や他所など)との比較においてのみ、その不在の感覚は「あれ、こっちにはないな」というふうに自覚されるのである。唯一例外的に自発と思えるのは、空腹時に「食べ物がない」と思うことくらいであろう。これが大きなヒントとなる。

この時の「食べ物がない」は「食べ物が欲しい」と同義であると言っても大抵の人の共感は得られるのではないだろうか。とすれば「…がない」という表現は「あって欲しい」「あるのが当然だ」といった一種の願望表現ということになる。これが「ない」という不在の感覚をわざわざ言語化する理由である。

例文を挙げるまでもないのかもしれないが、

  • 「お金がない」≒「お金が欲しい」
  • 「この仕事にはやり甲斐がない」≒「やり甲斐のある仕事が欲しい」
  • 「僕には狡猾さがない」≒「僕にも少しくらいの狡猾さがあればいいのに」

ということである。

しかしながら、知れば知るほどにそれまでの己になかったものに気付かされ「ない」と自覚すればするほど「欲しい」という願望が生まれる、一人の人間としてこの皮肉に嘆息するばかりである。

image by: yopinco, shutterstock.com

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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