木を見て森を見ず。軍事のプロが指摘する、9条と辺野古の共通点

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「憲法9条問題」と「辺野古問題」の議論について、本来は「憲法問題」であり「普天間基地移設問題」であるはずと指摘するのは、メルマガ『NEWSを疑え!』の著者で軍事アナリストの小川和久さんです。憲法9条については、前提となる憲法前文の平和主義に照らして議論されるべきであり、辺野古問題は、普天間の危険な状態を放置したまま進めていい議論ではないと訴えています。

「9条問題」と「辺野古問題」

「木を見て森を見ず」という言葉があります。辞書は、次のように説明しています。

「小さいことに心を奪われて、全体を見通さないことのたとえ」
「些細なことにこだわりすぎると、ものごとの本質や全体像を見落とすことがある」

もともとは欧米から入ってきたとされ、英語のYou can not see the wood for the trees.(木のために森が見えない)のほか、ドイツ語やフランス語にも同じ言い方があるようです。

中国にも、「鹿を追う者は山を見ず」という格言があるようです。獲物に気を取られて山全体が目に入らなくなる、つまり「一つのことに夢中になると、心の余裕がなくなる」という意味です。

なにを申し上げたいのか。憲法問題や普天間基地移設問題に進展がないのは、「木を見て森を見ず」に陥っているせいではないか、ということです。

憲法問題は、一貫して「9条問題」に陥っています。普天間問題もまた、気がつけば「辺野古問題」になってしまいました。憲法9条に賛成か反対か、辺野古の埋め立てに賛成か反対か、という議論になっています。

しかし、9条が日本国憲法の性格を決めているわけではありません。最初に置かれている前文が掲げている基本原理によって、憲法の性格は決められなければなりません。基本原理は3つあり、国民主権、基本的人権、平和主義です。

その平和主義に照らして9条はどうか、という順序で議論されなければならないのです。憲法前文の平和主義は、世界の平和を実現するために行動することを誓うという意味の言葉によって表されています。

ひとくちに世界の平和と言っても、口で叫んでいるだけでは平和は実現できません。少なくとも、平和を構築するために国連平和維持活動(PKO)に参加することくらいは求められます。

そうなると、いっさいの軍事力を持たないと謳っている9条では対応できません。外国を侵略できない構造の軍事力を持つ一方で、最低でも現在の自衛隊くらいの規模の軍事組織を持たなければ、部隊をPKOに派遣することはできません。そう考えると、間違っているのは9条のほうだということになります。

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