ここで押さえておかなくてはならないのは、私のような外部の専門家が指摘した問題については、担当の大臣や副大臣が担当の官僚と外部の専門家の両者を並べて、お互いの言い分を主張させ、問題の解決への道筋を明らかにするというプロセスが不可欠だという点です。
ところが、政治家に外部の専門家が何かを指摘したとしても、政治家は担当官僚を呼んで外部専門家の指摘について意見を求めるというのが、普通のパターンです。当然、官僚は自分たちの責任を問われたくないこともあり、外部専門家の指摘を否定します。政治家は判断するだけの知見がありませんから、最後は官僚の言い分を受け入れてしまうのです。かくして、4半世紀もの間、日本には国際水準の化学テロ対策が存在せず、国民を危険にさらしてきたのです。
これは審議会などでも同じです。外部の専門家が指摘しても、官僚機構は言い訳をする程度で、その場では強く抵抗することはありません。しかし、そのあとで政治家に呼ばれて、あるいは自分たちから押しかけて、外部の専門家の指摘を否定し、政治家は官僚に「お任せ」となるのです。
大災害時などで司令塔となる米国の連邦緊急事態管理庁(FEMA)をモデルとする日本版FEMA、あるいは危機管理庁が必要という声に対しても、官僚機構は現在の組織で対応できるとして、日本版FEMAの設置は「屋上屋を架すがごとし」と否定してきました。私について言いますと、「小川さんは必要だと言われているようですが、いまの組織で大丈夫です」という声が聞こえてくるのです。
しかし、その場に私も同席して意見を戦わせたとしましょう。解毒剤の備蓄と自動注射器の導入という化学テロ対策が24年間も放置されたのは現在の関係組織が縦割りの状態にあるからであり、これすなわち建物の1階部分が存在しないということで、日本版FEMAを創設しても「屋上屋」にはならないとして、官僚機構の抵抗を排除すると思います。まともな政治家であれば、私から論破された官僚機構の言い分を採用することはないはずです。
今回の化学テロ対策の前進を突破口に、日本の縦割り行政が克服に向かって動き出して欲しいと思います。(小川和久)
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