神苑
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平安神宮の周りには神苑と呼ばれる庭園があります。総面積約1万坪の敷地に西庭・中庭・東庭・南庭と、4つの区域に分けられた庭園です。そのうち西庭と中庭は、博覧会の時に造られたものです。当時この庭を築いたのは、明治時代を代表する名造園家だった7代目・小川治兵衛です。屋号「植治(うえじ)」の名で親しまれ、円山公園をはじめ数々の名庭を残しています。
琵琶湖疏水の水を引き入れた池泉回遊式庭園は、小川治兵衛が博覧会終了した後も20年の年月をかけて築いた晩年の最高傑作です。東京遷都で荒廃しかけた京都に活気を取り戻すために建てられた平安神宮にしだれ桜を植え、華やかな命を注ぎ込み、見る者を圧倒させました。「植治」は現在も東山の地で11代目が当主としてその技を引き継いでいます。
この神苑は名高い文豪たちにも絶賛されています。特に入ってすぐの南神苑は別名「平安の苑」と呼ばれ、八重紅枝垂桜(やえべにしだれざくら)の名所として親しまれてきました。4月には毎年「平安神宮紅しだれ桜コンサート」が行われています。
このしだれ桜の美しさは、谷崎潤一郎の代表作「細雪」や、川端康成の「古都」の中で絶賛されています。「細雪」の主な舞台は芦屋と大阪で、京都が登場するのは春です。主人公たちは、花見だけは毎年京都と決めていて、春になるとみんなで行くのが恒例の行事になっています。あちらこちら花の名所を見て周り、いつも最後をしめくくるのが、平安神宮の紅しだれ桜でした。
谷崎潤一郎「細雪」
この神苑の花が洛中における最も美しい、最も見事な花であるからで、円山公園の枝垂桜がすでに年老い、年々に色あせていく今日では、まことにここの花をおいて京落の春を代表するものはないといってよい。>
川端康成「古都」
みごとなのは、神苑をいろどる、紅しだれ桜の群れである。今はまことに、ここの花をおいて、京落の春を代表するものはないと言ってよい。
このように2人の文豪がそれぞれの作品の中で平安神宮の紅しだれ桜のことを絶賛しています。川端康成が書いた文章は谷崎潤一郎が細雪で書いた文章を引用していたようです。しかし、いずれにしろ日本を代表する文学作品の中で大絶賛されているのです。日本の自然美の描写の素晴らしさを評価されノーベル文学賞を受賞した川端康成が絶賛する平安神宮の紅しだれ桜の美しさは今もなお健在です。
南神苑には京都市から寄贈されたかつて京都を走っていた路面電車が展示されています。神宮の創建と同じ年に運行が開始された日本最古の電車「京都電気鉄道」の車両です。これもまた当時の京都人の復興にかける強い思いの結晶だと思います。
時代祭
「平安遷都1,100年祭」というイベントは、東京遷都で衰退していた京都を復興させるために行われたイベントです。その記念行事の一つであった時代祭は平安神宮の祭礼となりました。そして時代祭は今でも市民が総出で参加し、京都市民主体のイベントとして毎年続けられています。葵祭、祇園祭とともに京都三大祭の一つとして知られ、国内だけでなく海外からも多数の観光客が訪れます。1,000年以上日本の都であり続けた京都人のプライドと、復興に対する強い思いを受け継いでいるのが平安神宮であり時代祭なのです。
時代祭の特徴は「市民参加」と「本物の調度品」にあります。時代祭は平安講社という市民組織によって運営されています。約2,000人が参加し、明治時代から平安時代まで8つの時代を20に分けて大行列をなしています。
行列に参加する人達が着る衣装などは綿密な時代考証を経て復元されています。その調度品の数々には本物の伝統工芸品が用いられています。このことから時代祭は「動く歴史風俗絵巻」といわれています。ちなみに祇園祭の山鉾巡行は「動く美術館」と呼ばれていますよね。
市民参加、本物志向を前面に出し、今日まで続けられてきた時代祭にも当時の京都の復興と1,000年以上かけて都で発展した伝統を後世に伝えたいという、創建当時の想いが込められているのを感じることができます。
いかがでしたか?
平安神宮創建には明治時代に生きた京都人の強い心意気があり、参拝客にも伝わってくるように感じられます。平安神宮を訪れた時は明治時代、町の復興に尽力した京都の人々の想いを感じて下さい。そして社殿と美しい庭園を見れば感動が伝わってくることでしょう。京都に訪れた際にはぜひ時間をとって、ゆっくり散策することをオススメします。
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