日本人観光客が前年比4~5倍に。中央アジアの「ある国」の真相

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世界情勢が不安定な昨今、海外旅行先として、かつてシルクロードで栄えた「中央アジア」に注目が集まっているようです。ジャーナリストとして数々のメディアで活躍中の嶌信彦さんは今回、自身の無料メルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』で、シルクロードのオアシスと呼ばれた「ウズベキスタン」を実際に訪れ体感した日本との歴史的絆や、新興国特有の空気感をジャーナリストの鋭い視点で記しています。

急成長ウズベキスタン訪問記

中央アジアのウズベキスタンへ行ってきた。今回は私が会長を務める「NPO法人日本ウズベキスタン協会」の20周年記念旅行で、9月6日から13日までの8日間の訪問だった。会員と一般募集で募った約30人が参加し、和気藹々の実に楽しい旅だった。年配のご夫婦をはじめとして、中堅や20~30代の若手も交じり、普段ではなかなか一緒に旅行する機会のないメンバーでの旅行となった。

日本人捕虜が建てた「ナボイ劇場」を見学

週2便のウズベキスタン航空で成田から直行し、9時間半ほどで首都タシケントに到着。翌日は敗戦直後に旧ソ連によって満州から連れて来られた日本兵捕虜457人がウズベク人とともに2年間かけて建設した伝説のナボイ劇場」(オペラハウス)や日本人墓地、現地のジャリル・スルタノフ氏がコツコツ集めた資料を展示している日本人抑留者資料館を見学した。抑留当時の貴重な建設の様子などを8ミリフィルムで撮影した映像や資料を拝見したり、ウズベキスタンの歴史博物館なども訪れた。

今回の旅行には、隊を率い、ウズベク人を指導しながらビザンチン風の3階建て「ナボイ劇場を建設完成させた永田行夫隊長のご子息ある永田立夫氏も参加されており、感慨深げだった。立夫氏によると父の行夫氏は生前、捕虜時代のことをあまり詳しく話されなかったため古い映像や資料を見て苦労の実情がわかったという。

また、永田隊長は「ナボイ劇場」を建設するに当たり「捕虜として労働させられるのだから適当に作っておけばよいという考え方もあるだろうが、この劇場が今後数十年も残ることを思ったら日本人として恥となるような仕事はせず、後世にも名が残るような立派な建物を作ろう」と収容所の仲間に呼びかけた。

その後、1966年にタシケント大地震がありタシケントの街がほぼ全壊した時、「ナボイ劇場だけは悠然と建ち続けその名を中央アジアにとどろかせたのだ。日本ウズベキスタン協会では、2001年に設立10周年の記念イベントとして日本のオペラ『夕鶴』を企画、主催し、建設に関わられた方々がオペラ終了後に「ナボイ劇場」の舞台に立たれたこともあるだけに、懐かしさも一杯だった。

日本への留学生たちと旧友を温める

もう一つの楽しみは、2日目の夜に旅行団とウズベキスタン在住の日本関係者とのパーティーを開催したことだった。かつて日本に留学していた方々や赴任されたばかりの在ウズベキスタン日本大使の藤山美典氏、ウズベキスタンに赴任されている商社やJETRO、JICAなどの関係者30名をお招きし、久しぶりに再会し話がはずんでいた。

■世界最大の公害の塩湖「アラル海」の悲劇

さらに、今回のハイライトのひとつは、世界最大の環境問題地域といわれる「アラル海」を訪れたことだった。綿花や水稲の灌漑農業用水に「アラル海」の水を利用した事業の促進によって、旧ソ連時代に世界第4位の湖面面積(北海道と同じ位の広さ)を誇っていた大湖が砂漠化し60年間で9分の1にまで減少。塩分が上昇し湖水流域の漁業、農業もほぼ全滅した。砂漠化したかつての湖底に立つと、漁船があちこちに錆び付いたまま放置されている「船の墓場と呼ばれている異様な光景にみんな口をつぐんでしまった。

アラル海の公害現場はウズベキスタンとカザフスタンにまたがる地域に存在していたが、いまやカザフスタンにある小アラル海だけが残っているという。当時、「アラル海」縮小による漁獲高減少による損害は最大6,000ルーブル、灌漑農業によって得られる利益は140億ルーブルに達するとみられ、損益面からのみ考え実施したものの、気候の変化やデルタや河川の砂漠化土壌の塩類化、牧草の減少──などが次々と起こり自然改造によって起こる環境破壊が大きな国際問題になってしまい、人間の愚かさを示していた。

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