NYCマラソンが障がいを持つランナーに優しい訳と支援団体アキレス

 

ディックさんは自らも障がいを持っている。1965年、交通事故で右足を膝上から切断。当時、24歳だった。もし、皆さんが24歳の若さで片足を切断することになったらどう考えるだろうか。それまでの生活は当然のことながら大きく激変する。仕事を続けていけるのか?恋人や友人との関係はどうなるのだろうか?

健常者であっても悩みの多い20代半ば。人によっては悲観的になりすぎて心の病にかかってしまっても少しも不思議はない。そうならなかったとしても、片足を失う以前のようにはいかない…と誰もが思うだろう。ところが、大学時代からレスリング選手だったディックさんは不屈の精神の持ち主だった。

足を切断することになった交通事故から7年後の1972年、健康のためという理由でなんと義足で走り始めたのだ。健常者でもなかなかジョギングを習慣づけられる人はそうそういないのにハンデがある中で走り始めた。

そして、4年後の1976年にディックさんはNYCマラソンに参加。義足ランナーとして史上初の完走者となったのだ!タイムは7時間24分。1キロ10分半で走っているが、当時のゴールシーンの貴重な映像がCNNのヒーロー特集に映っているので以下どうぞ。

ご参考:
CNN Hero: Dick Traum

動画に登場する障がい者の方々の笑顔はとても素敵だ。そして、その中心にいるのが一際暖かい笑顔のディックさんなのである。ディックさんは上述の動画で「It was probably best day of my life」(おそらく人生でもっとも素晴らしい日だった)…と初めて完走したマラソンについて振り返っている。

右足を失くしていなかったときにだって楽しいこと、幸せに感じたこと、ベストと感じる日はたくさんあっただろう。でも、右足を失くした後に初めて完走したフルマラソンを走った日が人生でもっとも素晴らしい日だったとディックさんは語っている。

マラソンの完走からさらに7年後の1983年、ディックさんはアキレス・インターナショナルの前身である、アキレス・トラック・クラブを立ち上げた。この年、アキレスを通してNYCマラソンに参加した障がい者ランナーは6名。完走した。

そして、徐々にアキレスの活動はアメリカ国内外で知られるようになり、1984年にはニューヨークに続く2つ目の拠点としてバーモント支部が設立。翌年1985年には、初の海外拠点としてニュージーランド支部が設立された。

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