「話し合えば解決する」という考え方は一見正論に思えますが、話し合いはあくまで対等な立場が前提。被害者と加害者が存在する「いじめ」問題では、その立場は到底同じとは言えません。今回の無料メルマガ『いじめから子どもを守ろう!ネットワーク』では、元公立高校校長の清川洋さんが、戦後日本に蔓延する「お花畑思想」を払拭し、心を込めて寄り添ういじめ解決策の実践を提言しています。
戦後日本と「いじめ」の対応
教育現場に長く身を置いてきましたので、何度か「いじめ」問題に遭遇し、その都度対応してきました。しかし、自分たち教員集団が見落としている事案もあったのではないかと考えています。おそらく、あったのだろうなと思います。
高校には「懲戒指導」がありますので、事実を把握した上で、問題が大きければ、戒告・謹慎・停学、そして退学までの処分を行うことになります。それが一定の抑止力になっていると感じています。小中学校の場合は懲戒の範囲が限られますから、解決に向けた取り組みに大変な労力がかかることと拝察します。
「いじめ」問題は被害者を守り、不利益のないようにすることは当然欠かせませんが、加害生徒への対応、両者の保護者への対応などに思いを巡らすと、しんどく感じることもあるだろうと思います。
私のささやかな経験の中には、加害生徒に懲戒指導を与える前や進路変更(自主退学若しくは自主転学)をお勧めする場合には、加害者側の保護者の方からクレームをいただくことがありました。
ある時は、継続的な暴力と金銭強要を伴う事案に出くわしました。内容が内容だけに、私は警察に通告し連携を取りながら、被害者の安心・安全の確保、及び、金銭的損害の回復と、加害者の立ち直りを試みました。その時には、加害生徒に進路変更をしていただくようお願いすることになりました。加害者の保護者の方から「先生は息子を警察に売った」と言われました。私は少し悲しく感じました。
また、いくつかの「いじめ」の事例の情報を知る中で、不思議に思う対応があります。それは、被害者と加害者を「話し合わせる」という手法です。犯罪被害者と加害者を話し合わせて解決するということなのでしょうか。対等な関係同士のけんかならば、それでよいかもしれませんが、「いじめ」においては心理的に対等な立場ではないことは明らかです。いじめの当事者同士が、その解決に向けて「話し合う」ということに、違和感を覚えます。「話し合えば」何でも解決できるというお花畑的発想だと思います。
これがまさに、戦後の「平和主義」に通底すると思えてなりません。かつての同僚の教員の方の中にも、「自衛隊の軍備や日米安保条約はいらない。攻められそうになったら話し合えば解決する」と仰る方がいらっしゃいました。国防問題と「いじめ」問題は同一には考えらえませんが、「話し合い」では、軍事力等の国力の弱い立場の方が被害を受けることは明らかです。問題の解決につながりません。
「いじめ」や不当な圧力に屈しない備えや対応が必要です。「いじめ」に関しては、被害者はいうまでもなく、加害者にとっても自分の人間としての「輝き」を損なってしまうことになります。保護者の方や学校の先生方が、心を込めて寄り添い解決策を実行することが大切だと思います。
国防も「いじめ」も、悪を押しとどめる体制づくりが欠かせません。その意味で、軽薄な戦後の「平和主義」を克服する必要あり、と考えます。
元公立高校校長 清川洋
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