「人間嫌い」を突き詰めたら「人間(じんかん)嫌い」だった話

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日常生活において不思議に思ったり、ちょっと気になったあれこれについて考察するメルマガ『8人ばなし』。著者の山崎勝義さんは今回、10代の頃から不動だった「嫌いなものランキング」の1位と2位に対し、異を唱える人物が出現したことにより変化していったその経緯を詳らかに記しています。

嫌いなものランキングのこと

10代の頃から私の嫌いなものランキングの上位2つは決まっていた。
「1位 自分」
「2位 人間」

である。3位以下はその時々の都合や状況で決めていた。

ところが33歳の時にこれに物申す奴が現れた。曰く「自分が嫌いなんてかっこよすぎる、どこか卑怯な物言いだ」とのこと。確かにそんなふうに言われるとそんな気がしないでもなかった。事実、あきれるほどの自分の嫌さ加減や駄目さ加減も畢竟自分にしか分からない。他人の立場からはおよそ知りようもないところを根拠として「嫌いなもの1位、自分」と言い切るのは如何にも卑怯に思えたのである。

それに実のところ、みんな似たようなことを思ってはいても、結局どう嫌ってみたところで自分とは別れることも絶交することもできない訳だから、言っても詮無いこととしているだけかもしれない。こう考えると卑怯どころか幼稚にすら思えてくる。

それに自分自身ではかっこつけたつもりはなくても「自分嫌い」という言い方自体、多少の中二感がないでもない。これはさすがにちょっと恥ずかしい。

そういう訳でこの1位は削除されることとなった。以来、嫌いなものランキング1位は2位がそのまま繰り上がる形での
「1位 人間」 のみが固定順位となった。私は子供の頃からずっと人間嫌いだった。これだけは正真正銘、譲れないところであった。

ところがこれにも同じ人物から物言いがついた。前の1位を否定された2、3年後のことだったと思う。
「お前は人間嫌いなどでは断じてない。お前ほど人間の事績に興味を持っている人も珍しい。その人間が成し遂げたことへの興味は即ちその人間の生き方への興味である。お前は人間嫌いどころか寧ろ人間が大好きなのである」

こんな感じの、ぐうの音も出ない正論であった。知っての通りこの『8人ばなし』でもいろんな人間の業績や生き方を随分と採り上げて来た。と言うか、どこを切り取っても人間の話ばかりである。確かに、言われる通りなのかもしれない。とは言え、子供の頃からの「人間嫌い」である。こちらも簡単には譲れない。そういう訳で、その場はそれを保留としてそのまま持ち帰って検討することにした。

1週間後、私はその人の前に「嫌いなもの1位 人間」と書いたメモを差し出した。すかさず何をか言い出そうとする相手を制すように私は言った。
「それは『にんげん』ではなく『じんかん』と読む。つまり俺は『じんかん』嫌いの『にんげん』好きである。このへんでどうだろうか」
相手はにっこり笑って許してくれた。

「人間」。この字を「じんかん」と読んだ場合「人の世」とか「世間」といった、まさしく人と人との間に生じる関係を意味する漢語となる。「人の世」「世間」「人間関係」それらはやっぱり変わらず嫌いである。勿論、今でも嫌いである。だが「人間(にんげん)」のことは諦めて好きとした。それは言い逃れのしようのない事実だからだ。

爾来、何かのアンケート(仕事の都合上、これが意外と多い)などで「嫌いなもの」を問われた時にはこう書いている。子供の頃から変わらぬことと、臆することなく堂々と書いている。
「1位 人間(じんかん)」
と。

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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