歴史は繰り返すか。東欧諸国が再び「保守化」へ舵を切り始めた訳

 

昔の活動家仲間が仲介

すると、そのうちにマゾビエツキ・ポーランド新首相の側近を知っているのでインタビューの段取りをつけてくれる約束ができたり、チェコのハベル大統領候補とのインタビュー日程も取ってくれた。私も学生時代に学生運動にかかわっており、共通の知人、友人などの話からひと肌脱いでくれたのだ。

またソ連から独立した東欧諸国は、日本が敗戦からわずかの間に立ち直り工業国家、輸出大国、GDP第2位(当時)となった秘密に大いに関心を持っており、日本の要人に会いたいという希望を抱いていたので、ソ連のくびきから離れた直後で国の成長にどんな方針を立てたらよいか思案中だったのだと思う。

私はこうして幸運にも暮も押し迫った1989年12月27日夕方、ポーランドのマゾビエツキ首相と会うことができた。またその日の夜、ほぼ大統領となることが決まっていたハベル氏の側近から「明日の朝(12月28日)10時にプラハのハベル氏の事務所に来てくれればお会いする」という吉報も入ってきた。ポーランドのワルシャワからチェコのプラハまで車で10時間以上はかかると言われていたので、早速荷物を整えて夜道を車でプラハに向かった事を覚えている。

途中、ポーランドとチェコの国境に検問所があり、数十台の車が検問審査を受けていた。運転手と知人が「前へ行ってハベル氏と会う事情を話し、いくらかのお礼を出せばすぐ通してくれるだろう」と知恵を働かせてくれたおかげで、私達は夜が白んできた頃にはスムーズに国境を通過できた。

ワルシャワからプラハへ夜通し走る

ただ、プラハ市内に入っても事務所の場所や道順が分からない。途中で住所を見せながら道を聞いてようやくハベル氏の事務所に到着したのは約束の午前10時直前だった。落ち着いた古都らしい素晴らしい町の様子であることはわかったが、約束の時間が迫る中で私達は番地の書いてあるハベル氏の事務所を探すのに気ばかりが焦って、とても街をゆっくり見回すゆとりもなかった。

ハベル氏の事務所は労働組合のような所だった。黒いセーター姿で現れたハベル氏に「夜を通してワルシャワからやってきた」と言うと、「いやー、よく来てくれた」とねぎらってくれたが、同時に「私が大統領になるかどうかは、まだ正式には決まっていない。最後の混乱があるかもしれないのだ」と言う。政権交代の闘争がまだ完全に終わっていないのだなという最終的な緊張感が伝わってきた。革命前夜とはこんな状況の中で進んでいるのかと実感させられた。

ハベル氏は「私が翌日、正装でヴァーツラフ広場近くの宮殿のテラスに出て国民に手を振っている姿を見たら、革命が成功して政権交代が出来たと思ってください」と言った。ソ連統治下にあった政権が倒れ、交代するのだからこれまでの政権の抵抗も凄まじいのだろうと察しがついた。

日本の成長、発展に学びたい

マゾビエツキ首相、ハベル氏のインタビューでは、両首脳とも「今後の政治の道のりは決して安泰ではない。世界の人々の助けがどうしても必要になる。特に日本は、第二次大戦の敗戦から短期間で見事に立ち直った。日本の経験を学びたいし、支援もお願いしたいと思っている。」と口々に同じような趣旨のことを言われた。同じ頃、両首脳とインタビューできたのはアメリカ、欧州の新聞、テレビ局が数社だと聞かされた。

その中に日本のメディアが選ばれたのは、やはりまだバブルの余韻が残り、GDPがアメリカに次いで世界第二位の地位にあったという日本の国力の勢いだったと思わざるを得ない。

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