広がる、誤った印象。再確認すべき「津波てんでんこ」本来の意味

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東日本大震災から今年で9年。しかし現在も2,500名以上の行方不明者を数え、4万8,000人あまりの方が避難生活を送っています。健康社会学者の河合薫さんは今回、自身のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』で、未だ震災の爪痕は癒やされていないとした上で、多くの命を救った「津波てんでんこ」という言葉の本来の意味が正しく伝わっていない現状を取り上げています。

※本記事は有料メルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』2020年3月11日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。

避難者数4万8,000人の現実と津波てんでんこ

東日本大震災から9年が経ちました。警視庁の発表によれば、死者は1万5,899人。行方不明者は遺体のDNA型鑑定でなどで身元が特定され、昨年より4人少ない2,529人です。

この1年で2人のご遺体が見つかりました。お1人は岩手県大槌町の女性で、もうお1人は宮城県山元町の女性です。工事現場や漁船の網から骨が発見されたそうです。

また、全国の避難者数は4万8,000人で、震災直後の47万人と比べると1割ほどに減少したことになります(2月時点)。共同通信がまとめた本年4月以降の仮設住宅入居者数は被災三県で60世帯120人となり、震災直後の5万3,000戸から、10年後となる2020年度末にようやくゼロとなる見込みです。

私が震災後に、数回訪問させていただいた宮城県の雄勝町の仮説住宅に暮らしていた方から、「最初に取り残された俺たちは最後まで取り残されたままだった。でも、やっと自分の家で暮らす日がきました」というお手紙を、昨年いただきましたが、震災の爪痕は…まだまだ癒されていません。

「津波てんでんこ」――。この言葉をみなさんは覚えているでしょうか?

てんでんことは各自のこと。海岸で大きな揺れを感じたときは、津波が来るから肉親にもかまわず、各自てんでんばらばらに一刻も早く高台に逃げて、自分の命を守れ―という意味です。

この教訓を生かした岩手県釜石市内の小中学校では、全生徒計約3,000人が助かり、当時「釜石の奇跡」と呼ばれました。

地震発生直後、釜石東中学校の生徒達は直ちに学校を飛び出し、高台をめがけて走りました。近所の鵜住居小学校の児童や先生達も、近所の多くの住民もそれに続き、安全な場所に一緒に辿りつきました。

その直後、彼らの背後では巨大な津波が町を飲み込んでいったそうです。

釜石市では1,000人以上が亡くなりましたが、学齢期の子どもの犠牲はたまたま津波が襲った時に学校にいなかった5人だけでした。

「津波てんでんこ」の教訓と、防災意識の高い中学生の冷静な状況判断が多くの命を間一髪で見事に救う結果をもたらしたのです。

津波てんでんこの教訓は、防災で身を守るための心構えとしては極めて重要です。もっとも「自分だけ逃げる」ことにためらったり、自責の念をいだきがちですから、「避難する姿を見せることで他者の避難を促進する」効果があることなどを、平常時から家族間、学校や地域でも話し合い、「信頼関係を構築する」必要があります。

そういった共通認識と信頼関係が、「自分だけが助かってしまった」という生存者の自責の念を軽減することにつながっていくのです。津波てんでんこの教訓は、学校の教科書にも掲載され、防災教育の一環として全国に広がりました。

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