抑圧された怒りは、社会構造が生み出す情動で、偏見、差別、格差などが怒りのタネになります。ところが、やっかいなことに怒りのタネをまいた人は、それが偏見であるとか、差別だと気がつかない。
誰にだって「あんなこと言わなきゃよかった」とか「あんな言い方しなきゃよかった」と、後悔した経験が一度くらいはあるもものですが、それは「言ってはいけないことを言ってしまった」という認識があってこそ。
無自覚の価値観、無自覚の偏見は、ためらいのない無責任な言動となり、新たな偏見や差別につながります。
どんなにがんばったところで、抜け出すことができない社会。どんなに能力を発揮したところで、国籍、宗教、肌の色、学歴、性別などの属性が壁となり、認めてもらえない社会。
そんな慢性的なストレスの雨にさらされた人々は、不安、恐怖、絶望、悲しみなどのネガティブな感情に疲弊します。
ある人は怒る前に生きる力を失い、無気力になる。ある人は怒る前に生きる意味を失い死を選ぶ。また、ある人は自分のネガティブな感情を他者に悟られないように無理をして振る舞ったりもする。
そして、この抑圧された怒りを秘めた人々が群衆になったとき、怒りのマグマが一気に爆発し、暴力的で、残虐な行為として発散されるのです。
怒りは暴力的な快感をもたらし、ネガティブな生きる力を増幅させます。暴力的な快感とかネガティブな生きる力だなんて、妙な表現ではありますが、暴力は人間を興奮させ、「オレは生きてるんだ!」という快感をもたらします。
その「生きてる」躍動感と「怒りの発散」の爽快感にハイジャックされた心には、道徳心や倫理観のかけらもない。世間の常識や理屈が全く通じなくなり、自らを正当化するための、頑固で勝手で暴力的な思考が、行動を支配します。
アメリカに住む日本人も、その怒りの爆発の余波から逃れるのは極めて難しい。
菅官房長官が2日の記者会見で「一部の日本企業に被害が生じているとの報告を受けている」と明らかにしたように、海の向こうの出来事ではもはやなくなっているのです。
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image by: Hayk_Shalunts / Shutterstock.com
※本記事は有料メルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』2020年6月3日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。