コロナ禍に想う。日本が今一度、脱近代、脱合理を目指すべき理由

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依然として収まる気配のない、新型コロナウイルスの感染拡大ですが、そもそもなぜ人間は「ウイルス」という存在に翻弄されるようになったのでしょうか。ジャーナリストの高野孟さんは、自身のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』で、今回のコロナ禍を機に、人間の文明発達の歴史から、欧米と日本の第一次産業(農業、漁業など)の相違点に至るまでを今後数回にわたって再検証。日本人がコロナによる死亡率が低いとされる原因、いわゆる「ファクターX」の謎に迫ります。

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※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2020年7月13日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

コロナ禍を機に起こるべき価値観の転換《その1》ーー麦作牧畜文明<稲作漁撈文明

最近、ごく少人数の勉強会で平野貞夫=元参議院議員の講話を聴く機会があり、その中で彼が新型コロナウイルスの暴発による混乱を克服するには「稲作・漁撈・発酵文化の再生が急務である」と語ったことに感銘を受けた。

私自身、3・11福島原発事故の後に、「脱原発は決してそれだけで完結せず、脱近代、脱合理、脱効率、脱集権につながっていかざるをえず、……もしわれわれがその深いところからの立ち直りに成功すれば……世界に新しい文明のモデルを示すことができるだろう」と予測し、その際にキーワードとなりうるのは環境考古学者=安田喜憲が言うところの「稲作漁撈(ぎょろう)文明」だと主張していた(拙著『原発ゼロ社会への道程』=書肆パンセ、12年刊)。いまコロナ禍をどう超えて行くかという時に、もう一度そこまで立ち返って文明論的に考えることが必要であることを思い知った。

そこで今回から何回かに分けてこの問題を手探りで模索していくことにしたい。

文明が動物と細菌を追い詰めた

イタリアの物理学者パオロ・ジョルダーノは『コロナ時代の僕ら』(早川書房、20年4月刊)でこう述べた。

環境に対する人間の攻撃的な態度のせいで、今度のような新しい病原体と接触する可能性は高まる一方となっている。病原体にしてみれば、ほんの少し前まで本来の生息地でのんびりやっていただけなのだが。

 

森林破壊は、元々人間なんていなかった環境に僕らを近づけた。とどまるところを知らない都市化も同じだ。多くの動物がどんどん絶滅していくため、その腸に生息していた細菌は別のどこかへの引っ越しを余儀なくされている。

 

家畜の過密飼育は図らずも培養の適地となり、そこでは文字通りありとあらゆる微生物が増殖している。

 

そんな時、僕たち人間に勝る候補地がほかにあるだろうか。こんなにたくさんいて、なお増え続ける人間。こんなにも病原体に感染しやすく、多くの仲間と結ばれ、どこまでも移動する人間。

 

ウイルスは、細菌、菌類、原生動物と並び、環境破壊が生んだ多くの難民の一部だ。……新しい微生物が人間を探すのではなく、僕らのほうが彼らを巣から引っ張り出している……。

熱帯医学・国際保健学の山本太郎『感染症と文明』(岩波新書、11年刊)によれば、「麻疹は、人類最初の文明が勃興した頃、イヌあるいはウシに起源を持つウイルスが種を越えて感染し、適応した結果、ヒトの病気となった。ヒトが野生動物を家畜化し、家畜化した動物との接触が感染適応機会の増大をもたらした」。ティグリス川とユーフラテス川に挟まれた肥沃なメソポタミア地方で紀元前3000年頃に誕生し定着した麻疹は、その後、各地で農耕が始まり、あちこちに一定の人口を持つ社会が出現すると、そこを新たな常在地として世界中に広がっていった。それが世界の果てまで行き渡り、グリーンランドを最後に未踏の“処女地”を失ってありふれた病気の1つとなったのは20世紀半ばのことで、発生からそうなるまでに「5000年を要した」のである。

同様にして、ウシ起源の天然痘、アヒル起源のインフルエンザ、ブタ・イヌ起源の百日咳などがヒトを襲うようになった。こうして、野生動物の家畜化がさまざまな感染症を生み出してきたのだけれども、それは文明という光と表裏一体の陰の部分なのだから、撲滅一本槍ではなしに、何とか折り合いをつけて「心地よいとはいえない妥協の産物としての共生が模索されなければならない」(山本)と言われる訳である。

「家畜を飼う」と「牧畜を営む」のは違う?

それはその通りだとは思うが、その上でさらに、個々の農家が生活に必要な範囲で少々の家畜を飼うのと、大規模に牧畜を営んで肉食産業として発展を図るのとでは、次元が異なるのではないかーーというのが私の仮説的な問題意識である。

安田喜憲は『稲作漁撈文明』(雄山閣、09年刊)で次のように述べている。

イギリスでは農耕が伝播して以降、カンバやナラの森は一方的に破壊されていき、17~18世紀には森の90%以上が消滅して、完全な森林破壊の段階が現出していた。これに対し、日本でも確かに農耕の伝播によってカシやシイの原始林は破壊されるが、その後、アカマツやコナラなどの二次林が拡大し、このためイギリスのような完全な森林破壊の段階が現出しない。森の種類が変わっても、森のある風景が日本では連綿と続いている。

 

イギリスの農業は天水に依存する麦作と家畜がセットになった混合農業だった。気候が冷涼なため経営規模を拡大し、労働粗放化を進めることが、土地生産力を活用することになった。氷河時代に周氷河作用によってなだらかにされた地形は、開墾が容易だった。このためヨーロッパでは、飽くなき農耕地と牧草地の拡大の中で、森は一方的に減少していった。

 

これに対し、水田稲作農業を基本とし、肉食用の家畜を欠如した日本の農耕社会では、経営規模をいたずらに拡大して粗放的にするよりも、労働集約的にする方が収量が多かった。急峻な地形のため水田の拡大には限界があった。そして急峻な山地に家畜を放牧するよりは、森を保存し、森の資源を水田の肥料として利用する方が、土地生産性を活用することにつながった。灌漑用水を定常的に確保するためにも水源涵養林が必要だった。豪雨による災害を防止するためにも森は必要だった。温暖・湿潤な気候は森の再生には好都合だった。こうして日本人は森の資源に強く依存する農耕社会を構築した。……二次林の生育する山を里山という。日本人はこの里山の森林資源を核とした自然=人間循環社会を構築することに成功したのである。

日本の伝統には家畜はあったが牧畜はなく、それは単なる偶然ではなしに、森と田と海という「水のつながり」を軸とした独自の循環型社会を作り上げて来るのに必要なことだった、というのが安田説の重要ポイントである。

そして、この麦作牧畜文明と稲作漁撈文明の違いというところに、山中伸弥教授の言う「ファクターX」を解く鍵があるのかもしれないというのが私の予感である。(つづく)

(メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2020年7月13日号より一部抜粋)

 

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早稲田大学文学部卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。現在は半農半ジャーナリストとしてとして活動中。メルマガを読めば日本の置かれている立場が一目瞭然、今なすべきことが見えてくる。

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