米国の親中政策はクリントン大統領に引き継がれた。1997年江沢民主席が公式に訪米した際、まずホノルルに立ち寄り、アリゾナ記念館に花輪を捧げた。彼はかつての米中間の同盟を想起させ、9月に成立したばかりの日米の新ガイドラインを牽制したのだ。
クリントン大統領は、首脳会談後の共同声明で米中両国の「建設的で戦略的なパートナーシップ」を強調し、会談を通じて3つのノー(台湾の独立、「二つの中国」、台湾の国連加盟を認めないこと)を約束した。
1998年、クリントン大統領は米大統領としては天安門事件後、初めて訪中したが、その前後に同盟国である日本や韓国に立ち寄ることはなかった。しかも、首脳会談後の記者会見で、アジア金融危機における中国の金融政策を賞賛する一方で、日本の金融改革を促した。
クリントン大統領は中国のWTO(世界貿易機関)加盟を推進し、2000年9月までに、対中最恵国待遇の恒久的付与を盛り込んだ貿易法案を議会で成立させた。この年、アメリカの最大の貿易赤字国として中国が日本を抜いた。
4.日米は安全保障と経済の両面で協調できるか?
クリントン大統領の次の大統領、オバマ大統領は、ほとんど中国を放任した。その裏で、中国は南シナ海の領有権を主張し、ウォール街との連携を進めた。中国企業は次々とアメリカで上場し、ウォール街も莫大な利益を上げた。
しかし、トランプ政権になって、中国への対応は一変した。アメリカ第一主義を掲げるトランプ大統領は、中国や日本のせいで失った米国の製造業と雇用を復活させると語った。そして、米中貿易戦争が始まり、互いに報復関税を掛け合った。
次にファーウェイの通信機器にバックドア機能の疑いがあるとして、ファーウェイ社の通信機器を禁止する措置を打ち出し、西側諸国にも同様の措置を求めた。更に、チベット、ウイグルにおける人権弾圧問題が浮上した。そして、新型コロナウイルスの感染が始まった。米国は感染者が世界最多となり、最も深刻な被害を受けた。
米国政府は中国の責任を追求し、中国は米国が感染源であるという情報を流した。米国は、中国政府が感染源に関する情報を隠蔽したとして、損害賠償を求める動きに出た。同時に、中国にコントロールされているとしてWHOを非難し、脱退を決めた。次に起きたのが、香港民主化運動の弾圧と香港国家安全維持法の制定である。
そして、それら全てに対して、米国は本格的に対抗し、制裁を課す動きに出ている。考えてみれば、今回初めて日米が協調して中国に対立しているのかもしれない。長年経済的に対立してきた日米両国は、中国という共通の敵を得て、安全保障も経済も含む強固な同盟国になろうとしているのかもしれない。
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