改めて言うまでもなく、介護現場は慢性的な人手不足です。
そういった状況化でも、介護する人たちは、少しでもおじいちゃん、おばあちゃんが元気になれば、とさまざまな工夫をしています。一所懸命な人ほど、限られた時間、限られた予算の中で、知恵を絞り、おじいちゃんおばあちゃんが1回でも多く笑顔になれるようにしているのです。
しかし、今回のような事件で有罪判決がでれば、「決まったことだけやる」ようになってしまうことでしょう。高齢者の「自由」より「管理」が優先されるようになり、高齢者の「普通の日常」が失われるようになってしまうのです。
そもそも「人」が中心の現場では、突発的な出来事が頻繁に起こります。介護のスケジュールに沿ったケアが「定時介護」なら、スケジュール外の突発的なケアは「非定時介護」です。対人サービスである以上、突発的なサービスが生じるのは仕方がありませんが、非定時介護が増えるとスケジュールを組むことが困難となり、介護者のストレスが増え、介護の質が低下していきます。
介護の質とは、「介護される人を笑顔にするサービス」です。
どんなに年をとっても、人は自由でいたい。自分でできることはしたい。自分で決めたいのです。
しかし、管理が優先されれば、車椅子の高齢者が、「自分で少しでも歩きたい」と望んでも、「転ばれでもしたら困る」と車椅子に縛り付けられ、おばあちゃんが「ちょっとおしゃれをしたい」と思っても、ドライヤーの持ち込みが禁止され、「問題がおこらない生活」が優先されるようになってしまいます。
転ぶリスクのある人は全員車椅子を義務付け、むせるリスクのある人は全員流動食にすればいいのでしょうか?それが終の住処での「幸せ」なのでしょうか?
今回「逆転無罪」となったことは、過酷な状況で働いている介護する人を守るという意味と、おじいちゃん、おばあちゃんの「笑顔」を守る意味もあるとても重要な裁判だった。
できることなら、この判決を契機に、どういう老後を迎えるのが望ましいのか、高齢者の尊厳を守るには、どのような条件が必要なのか。介護する人の社会的地位を守るには、どうすればいいのか?
こういった議論を進めて欲しいです。
みなさまのご意見もお聞かせください。
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