東京人は「飢え」に備えよ。コロナ下の日本、食料問題の行き着く先は

 

個人の自給率を高める

従って、自給率・国産率を高めて貰うよう国の施策に何かを期待するのは間違っている。また東京はじめ大都会への一極集中傾向に歯止めをかけ地方分散型の社会に改造しようとする大胆な政策が打ち出される見込みもないので、本当の意味で自給率を高めるには自分で努力するしかない。

そもそも私が13年前に、60年以上も住み慣れた東京・横浜の大都会生活をやめて安房の山中で田舎暮らしを始めたのも、まさにそのためだった。

もちろん首都圏直下型地震や東海トラフ大地震、富士山の噴火など「いざ」という時への備えもあったけれども、普段の暮らしの中でも、大気汚染、廃棄物、人混み、騒音、光害等々の大都会であるが故のすべてにわたる「過剰・過密」に生理的に耐えられなくなったこと、そしてその背景にある、何事も土に足が着いておらず、従って自分では何も本質的には生み出すことができずにすべてをカネで買うしかないことの虚飾性…への懐疑からのことだった。

その後に3・11を体験し、そして今回のコロナ禍を安房3市1町で、今なお感染者3人のままほぼ完璧に抑え込んでいる中で過ごしている中で、13年前に大都会を捨てる決断をしたことが決して間違ってはいなかったという思いを改めて噛み締めている。

故・藤本敏夫と鴨川自然王国で酒を飲んでは語り合っていたことを思い出す。「還暦が過ぎたら人生二毛作目、俺も鴨川に引っ越してくるからね」と私が言うと、彼はこんな風に語った。

「誰もがそう出来る訳じゃない。が、都会のマンションに住む若い夫婦でも、ベランダのプランターでミニトマトを育てることは出来る。それを小学生の子供と一緒にやれば、芽が出て膨らんで、アッという間に実が成って、それを見ると誰よりも子供が感動する。

何に感動するのかと言うと、命をこの目で見るからだ。つまり、ベランダのプランターが『土のある暮らし』の始まりになる。その感動を親も共有すれば、じゃあ今度は練馬区の市民農園に応募してナスとかキュウリとかやってみようかということになる。

それが嵩じれば鴨川自然王国で米作りに参加しようかというところに行き着くだろう。そのもうちょっと先に、高野チャンみたいに、いっそ引っ越そうかという奴も現れるのだよ」。

彼が亡くなってもう18年も経つが、私は今も彼の先見の明としか言いようのない遺言の中で生きている。という訳で、食料自給率とは数字や言葉の問題ではなくて人の生き方の深層に触れる事柄なのである。

image by : TZIDO SUN / shutterstock

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