Hell to Pay(とてつもない報い)になったか
対照的に、D・M・ジャングレコ氏は、著書『Hell to Pay(とてつもない報い)──ダウンフォール作戦と日本進攻、1945-1947年』(2009年初版、17年第2版)で、日本には米軍に消耗戦を強いる意思と能力があったという多数の根拠を挙げている。
例えば、マッカーサーの情報参謀のウィロビー少将は、九州の日本陸軍が13-14個師団相当に達したとわかった1945年7月の段階で、上記の進出線に達するまでの米軍の戦死傷者数を21-28万人と計算したうえで、控えめに20万人と見積もっている。ジャングレコ氏によると、オリンピック作戦の戦死傷者が20万人の場合、戦闘以外の事故や病気を含むと、米軍の死傷者は50万人に達したはずだという(戦闘に復帰できる者5万人を含む)。
『米国戦略爆撃調査』や米陸軍航空軍の公刊戦史は、日本の食料事情が悪化したことも戦果に挙げている。日本人のカロリー摂取量は、対米開戦前の1日1人平均2000カロリーから、1945年夏には1680カロリーに減り、脂肪、ビタミン、ミネラルの摂取量はさらに減った。しかし、ジャングレコ氏もいうように、一億玉砕を叫ぶ軍部にとって、それは降伏すべき理由にはならなかった。
戦争が続いていれば、日本の本土決戦派にとって、1945年10月のルイーズ台風(阿久根台風)と46年3月のバーバラ台風は、オリンピック作戦とコロネット作戦を遅らせる「神風」となっていたとも、ジャングレコ氏は指摘している。
ソ連軍が北海道へ上陸進攻した可能性については、もし1945年8月に実行していれば失敗していると、ジャングレコ氏は分析している。揚陸能力が不足し、ソ連軍が南樺太などへ進攻したため日本軍が警戒しており、北海道上空の航空優勢を確保できる見込みもなかったからだという。
ジャングレコ氏の著書『Hell to Pay』は、決号作戦とダウンフォール作戦を、これまでになく詳しく分析している。しかし、分析から欠落している点もある。日本が降伏することなく、南九州や関東地方の防衛準備を続けた場合、連合国軍は、『米国戦略爆撃調査』が提言したような方法で妨害したはずだが、そうした妨害が実行された場合の効果を計算に入れていないことだ。この要素を加えると、消耗戦となって南九州だけで米軍50万人が死傷するとは結論できない。(静岡県立大学グローバル地域センター特任助教・西恭之)
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