1945年「本土決戦」のイフ。日本必敗の決号作戦で“神風”が吹いた可能性

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ダウンフォール作戦

米軍など連合国軍の日本本土上陸作戦計画・ダウンフォール作戦は、1945年11月1日(Xデー)に南九州に上陸するオリンピック作戦と、46年3月1日(Yデー)に関東地方に上陸するコロネット作戦に分かれていた。マッカーサー陸軍元帥が地上部隊と戦術空軍を指揮し、必要な場合は米太平洋艦隊(ニミッツ司令長官)も指揮することになった。

オリンピック作戦は、コロネット作戦に必要な航空基地や泊地を確保する目的で、現在の地名でいう薩摩川内市、えびの市、都農町の北側の進出線に、上陸後3-4か月で達する作戦である。米第6軍の約14個師団、25万人のうち、Xデーには宮崎市に第1軍団、志布志湾に第11軍団、薩摩半島(串木野)に海兵隊の第5水陸両用軍団の合計9個師団が、戦艦13隻の艦砲射撃の中を上陸する。英連邦諸国の空母や爆撃機も加わる。

Olympic

南九州上陸作戦計画・オリンピック作戦。 破線は航空基地や泊地への脅威を防ぐための進出線 (Reports of General MacArthur, 米陸軍省, 1966年)

原爆も化学兵器も、日本軍に対して使用される可能性があった。ただし、農作物に対する生物化学兵器の使用は、準備が中止された。使用した場合、占領地に残ると推定される住民220万人の食料を全部、米国が供給する責任が生じるからだ。

コロネット作戦はさらに大規模で、目的は、関東平野を占領して日本軍を降伏させることである。九十九里浜南部に第1軍、神奈川県平塚市に第8軍が上陸し、東西から東京を包囲して攻め落とす。Yデーから10日以内に14個師団が上陸し、第1軍は鹿島灘沿岸、第8軍は埼玉・群馬・栃木・茨城県境付近の利根川中流域にも進攻する。その後、第10軍や英連邦軍団も上陸する。

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関東地方上陸作戦計画・コロネット作戦(同上)

降伏は不可避だったという米国戦略爆撃調査

このように計画されていた日本側の本土決戦、連合国側の日本本土上陸作戦だが、終戦直後に米陸軍省が経済学者らに委託した『米国戦略爆撃調査』によると、日本は戦力を急速に失っていたので、1945年内の降伏は不可避だったという。

「全ての事実を詳しく調査し、それに関与した存命中の日本の指導者たちの証言を聞き取った結果、仮に原爆が投下されず、ロシア(ソ連)が参戦せず、上陸進攻が計画も予想もされなかった場合も、日本は確実に1945年12月31日より前に降伏し、ほぼ確実に1945年11月1日より前に降伏したと結論する」

1945年8月まで通商破壊と空襲を受けても、日本は降伏していなかったのに、なぜそういえるのか。その切り札は、青函連絡船、関門トンネル、鉄道橋19本などを空襲によって遮断し、日本を5地域に分断することだという。そうすれば、本州では石炭が不足して蒸気機関車が止まるので、「日本は孤立した町や村の一群となり、工業生産も、食料を農業地帯から都市へ送ることも、軍隊と兵器を大規模・迅速に移動することもできなくなったに違いない」という。しかし、米軍はB-29爆撃機による機雷投下も、青函連絡船や鉄道施設に対する空襲も、1945年3月ないし7月まで始めなかった。

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