日本球界を代表する知将と言えば、野村克也氏をおいて他にいないと言っても過言ではありません。そんな野村氏ですが、若かりし頃は自身が指導者になるなど思ったこともなかったそうです。何が転機となり、野村氏は名将の階段を上り詰めるに至ったのでしょうか。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』に、かつて監督自らが語った「秘話」が再掲されています。
人間学なき者に指導者の資格なし 野村克也監督が初めて人間学を学んだ本
当時12球団を見渡したら、監督やコーチはみんな大卒です。僕は高校しか出ていないから、将来はコーチや監督なんてないと思って野球をやってきましたからね。
いまだにそうですが、僕は劣等感を逆手にとって生きてきた人生ですよ。
パ・リーグなんて人気もないし、マスコミも取り上げないしね。王(貞治氏)がホームラン打てば騒がれるのに、俺が打っても何にも載らない。セ・リーグのホームラン王と、パ・リーグのホームラン王はどこが違うんじゃい、なんてブツブツ言うものだから「ボヤキのノムさん」になっちゃった。
ただ正直、南海時代は監督というよりは、4番でキャッチャーという意識のほうが強かったんですよ。30代後半から40代前半の頃で、まだチームを纏め上げる器量もなかったから一度も日本一になれなかったし、いまの女房とのことをマスコミに叩かれたりもして、42歳で南海を辞めることになったんです。
周囲からは「これ以上やっても栄光に傷がつくだけだ」とユニフォームを脱ぐことを勧められましたが、自分にはまだ現役でやれるんじゃないかという気持ちもある。そこで懇意にしていた評論家の草柳大蔵さんに相談しました。
「ボロボロになるまで現役を続けたい気持ちがあります」
と言うと、
「大いにやるべきです。禅に“生涯書生”という言葉があります。人間は生涯勉強です」
と言われましてね、以来、私の座右の銘は「生涯一捕手」です。
その後、ロッテ、西武と渡り歩きユニフォームを脱ぎましたが、再び草柳さんのところに引退の挨拶に行ったんです。野球解説者として再スタートすることにしたが、何を勉強したらいいか、と質問すると
「本をたくさんお読みなさい。そして、人間学を学びなさい」
と。そうして最初に推薦してもらったのが、安岡正篤さんの『活學』でした(※致知出版社の『活学講座』は、この『活學』と『活學 第二編』より10編を収録したもの)。
野球ばっかりしていましたから、それはそれは難解でした。ただ、これはもう読破することに意味があると思って、辞書を離さず読み通しました。この時挫折しなかったから、その後、本を読む習慣がついたんだと思います。
草柳さんの教えを守って人間学の本を読んでいったことが、監督としての理念のようなものを形成するのに役立ちました。それはひと言で言えば「人間学なき者に指導者の資格なし」ということです。
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