長年、障がい者問題に取り組んでこられたベテランの先生方の中には「リモート会議についていけない」と嘆き、自らが「情報弱者」になっていくことを痛感したという。
この気づきは大きなチャンスでもある。「情報弱者」になる可能性は障がいの有無に関わらず、社会が作り出していることが浮き彫りになるからである。ここから障害学を語る時に前提として示される「社会モデル」は何かを問い直す機会になればと思う。インクルーシブやダイバーシティを展開する前に、「社会モデル」の社会をつくることを自覚的に考えることから始めたい。
最近よく聞くのが「コロナで気づかされた云々」である。大切な人の存在や当たり前の日常の有難さという生活面からの気づきとビジネス面でのデジタル化の促進や非接触系の可能性である。障がい者支援の世界でも、「会うことが前提」の支援から会わずに出来ることで、利用者と支援者のお互いの負担が軽減されたという発見もある。
一方で会わない支援に楽を覚えて電話1本で支援をしたつもりになっている事例もあるから、この態度には注意が必要でもある。支援者が楽な管理に走ってしまい、結局は当事者にアスファルトを歩くことを強いてないか常に社会は注意する必要があるが、そんな気負いは無関係とばかりに、若い方々の頼もしい萌芽も最近いくつか見聞きした。
先日、重度障がい者施設「やまばと学園」の設立50年を記念するインタビュー企画で、長沢道子理事長に福祉領域の未来をおうかがいしたところ、若い方々が障がい者と垣根なくインクルーシブに接している姿を見出していることは、私と同じ認識であり、嬉しくなった。危惧してしまうから、そんな希望がより美しく見える。
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